オマケ 2022年のイグノーベル経済学賞
2022年のイグノーベル経済学賞は、
「人生の成功は才能ではなく運で決まる」
「資本主義では才能の高い人ほど失敗が目立って出世できない」
という研究に与えられた、
この研究をしたチームはコンピューター・シミュレーションによって、政府や企業がどのように研究開発資金を投じれば、もっとも成功するかという分配戦略を研究している。そして2010年にも「開発資金は研究内容や過去の成果には関係なく、全員に平等に分配するのがもっとも効率的である」という論文でイグノーベル賞を取っているが、これは昨今話題になるベーシックインカムの考え方そのものだ。
今回の研究も、そういう分配戦略を考えるためのコンピューター・シミュレーションの一つとして行われた。
今回のシミュレーションは『研究者』ではなく『キャリア』の資産形成だ。条件は以下のように単純化している。
・20歳〜65歳までの45年間をシミュレートする。
・スタート時の資産は才能とは無関係に、全員等しいものとする。
・才能は正規分布に従い、一生変わらないものとする。
・幸運と不幸のイベントは半年ごとにランダムで発生する。
・幸運は才能に応じてランダムで訪れ、資産が倍になる。
・不幸は才能とは関係なくランダムで訪れ、資産が半分になる。
そしてシミュレーションの結果は、次の通りだ。
・全体の4割は幸運も不幸もなく平凡に人生を終えた。
・幸運を得た回数の多い人ほど資産が多い。
・不幸に遭遇した回数の多い人ほど資産が少ない。
・資産がもっとも多くなる傾向のある人は幸運が晩年に集中した。
・資産が低くなる傾向のある人は不幸が晩年に集中した。
・才能の高い人は変動額が大きいために不幸ぶりが目立つ。
・大富豪は偏差値60(IQ115)の少し下に現れやすい。
・大貧民は才能とは無関係に現れる。
・最終的に上位2割の資産が全体の8割を独占する。(パレートの法則)
・大富豪の資産は128倍になった。(7回の幸運と0回の不幸)
・大貧民の資産は64分の1になった。(0回の幸運と6回の不幸)
なお元記事では「20歳〜60歳までの40年間をシミュレート」とあったが、結果から逆算すると20歳〜65歳の間違いだろう。それなら半年ごとに1%の人に幸運か不幸を与えることになるので、シミュレーションとしてわかりやすい形になる。
もしも40年間が正しいなら結果から推定される確率は88人のうち1人を選ぶ形になるので、なぜそのような数字が選ばれたのかが気がかりになる。まあ、それはともかく──
シミュレーションでは「才能のある人ほど幸運が訪れやすくなる」としたのに、何度やってももっとも多くの資産を貯め込んだのは、平均よりも少しだけ才能が高い人だったそうだ。これは偏差値50を中心とする前後10の間に7割近い人数が集中するためと、才能に応じて幸運が訪れやすいという条件のため、数的に幸運な個体がそのあたりに現れやすかったのだろう。
また最終的に資産が多い方も少ない方も、資産の額に差の出る晩年に幸運か不幸が連続して現れたために一気に突出した結果へとつながっている。
それと今回のシミュレーションでは加味されてないが、欧米でも才能が高い人ほど人生が不利になることが知られている。
まず才能の高い人ほど周りから足を引っ張られる傾向がある。これには嫉妬もあるだろうが、それよりも競争相手を早めに潰しておこうと考える人たちから狙われやすい影響の方が大きいだろう。
一方で才能のある人ほど上から抜擢されて、若いうちに大きな仕事を与えられる幸運もある。だが、その分だけ失敗が目立つことになり、結果として悪いレッテルを貼られて再起が難しくなっていく。失敗しなくてもそのせいで報酬が高くなりすぎて雇えなくなり、活躍する機会を奪われることもある。実際に近年のスポーツ界では年俸が高騰しているために、トッププレイヤーがどこともプロ契約できないケースが起きているほどだ。その間に才能がほどほどで大きな仕事をしなかった仲間が、小さな成功を積み重ねて資産を形成していく流れを招いている。
また各国共通で、才能の近い人同士なら名簿の前に載る人とか、同じ学年なら誕生日が早い人ほど出世しやすいという傾向が見られるという。
他にもそれぞれの社会ごとに、占いで出世しやすい人というものが存在する。これは占いが正しいのではなく、その社会で幸運な人を長い時間をかけて作り続けてきたという問題だ。要するに「卵が先か鶏が先か」となる、才能とは無関係な運不運の問題である。
たとえば西洋社会には候補者を絞ったあと占い師(主に占星術師)に相談する慣習から、ホログラムが良い人ほど出世しやすいことが知られている。そういう慣習のない日本では、占星術による占いはどのくらい当たるだろうか。
その日本では姓名判断に熱心になる親が多い。血液型占いのせいでB型が割を喰わされた時代もあった。これらも才能とは関係ない運不運である。
それと今回のシミュレーションではイベントは年2回のランダムだが、才能が低くても親に経済力があれば、金でチャレンジできる回数を増やせる問題もある。交友関係から回ってくるチャンスもあるので、顔の広い人ほど幸運なのは言うまでもないだろう。それとは逆に有名になったばかりに妬み嫉みから来る悪意を向けられる不運──有名税もある。
そういう事情があるのか、最後まで残ったキャリアの長い人ほど、実は実績が少ないという問題も指摘されている。要するに挑戦が少ないから失敗も少ない──大学に長くいる学者ほど書いた論文が少ないという話だ。
日本でも公務員や大企業で出世するのは何も挑戦しなかったか、失敗しても責任を他人になすりつけて逃げ延びた卑怯者ばかりという話がある。これも似た話だ。
こういう話は個人の才能に限った話ではない。
産業界でよく見られる現象に、次のようなものがある。複数の規格が競合した場合、技術力の低い規格の方が生き残りやすいという経験則だ。後発企業は先行企業よりも技術力で劣っている。そのため高い技術力を必要としない規格や、特許料の安い規格を選んで参入してくるためだ。その結果、技術的に低い規格が多数派となって、最後に生き残るという現象を招いている。
成功者はよく自分の実力で成功したと語りがちだが、単に運が良かっただけ。それどころかその分野での実力は高くないけど、他人を蹴落としたり、時機を見るに敏な目で成功できただけの可能性もある。
このイグノーベル賞となった研究はこういう世の中の不条理を、具体的なシミュレーションで示唆したものだろう。
取り敢えず、今回の投稿はここまで。
だが完結とはせず、何かあれば追加できるように連載状態のままにしておく。




