第21話 日高誠と魔法使いとの約束
響くエンジン音。
魔法の自転車は謎の煙を噴き上げながら爆走を続ける。
いつも電車の窓から見ている景色の中を通り抜けてゆく。
何とも不思議な気分だ。
だが今はそんな事に浸っている場合じゃ無い。
地響きは更に激しくなり、世界は血の様な赤黒色を帯び始めた。
空に走る亀裂は拡張を続け、砕けた結界の破片が落下している。
残された時間は僅かだろう。
この結界が壊れて消滅したら最後、俺の存在も消えて無くなる。
ワザワザこんな危険な賭けに出るなんてどうかしてると思う。
後悔はしたく無い。
だからこそ違和感の正体をハッキリさせたい。
思い出せ。
出会った人達の言葉、行動。
そして遭遇した事件の数々。
そこに答えがあるはずだ。
何故、俺は世界から消されたんだ?
それは誰かが願った事なのか?
待てよ……?
フラッシュバックする記憶。
生まれる一つの疑問。
それは次第に確信へと変わってゆく。
そうか……。そう言う事か……。
分かったぞ。犯人の正体が。
二合駅を過ぎ、駅前のメイン通りを曲がる。
幾つかの角を曲がり、細い路地へやって来た。
奥に見えるのは俺の家だ。
そこで俺は力強くブレーキを引いた。
「停まるぞ!」
強烈な爆音。巻き上がる煙。
魔法自転車は車体を斜めに滑らせる。
そのまま俺の家の前で停止した。
『どうしたの? ここはアンタの家だよ』
猫の水鞠が心配そうに声を掛けて来た。
そんな事は知っている。
志本の家に用は無い。
志本紗英は違う。
結晶体を生み出したのは別の人間だ。
魔法自転車から降り、俺は子猫を肩に乗せたまま歩き出した。
家の玄関を通り抜け、まっすぐ階段を登ってゆく。
ひと息吐く間も無く、その先ににあるドアを開いた。
目の前に拡がるのはいつもの光景だ。
古いゲーム機と中身の無い本棚に机。
ベッドしか無い殺風景な八畳の部屋。
『ここは……』
子猫が肩から飛び降り、ベッドへと着地した。
「そうだよ。俺の部屋だ」
全てはここから始まった。
水鞠コトリと出会い、そして別れを告げた場所。
ここへ来た目的は一つ。
叶えてはならない願いを消し去り、本来の未来へ進む為だ。
俺は息を深く吸い込み、心臓の鼓動を落ち着かせた。
そして真実を告げる。
「封印魔法はキャンセルしない。絶対にだ」
そう言葉にした後、強い地鳴りが起きた。
白い猫は首を傾げる。
『助かりたくないの? このままだとアンタは消滅しちゃうよ』
「助かりたい。でも、お前の力は絶対に借りない」
『どうして……?』
俺は改めて白い猫と対峙する。
「お前は本物の水鞠コトリじゃない。
あいつが生み出した結晶体だ」
『…………!』
大きく目を見開く白い猫。
そして風船が萎む様にゆっくりと元に戻って行く。
『……何で、そう思うの?』
俺は両手を強く握り締め、言葉に強い意思を込める。
「水鞠には魔法使いの当主としての誇りがある。
大切な従者達を危険に巻き込んでまで、俺を助ける……。
なんて事は絶対に言わない」
そうだ。アイツなら絶対に言わない。
言えないから生まれてしまったんだ。
水鞠コトリの願いである結晶体が。
『キキ……キキキ……』
子猫の皮膚に紋様が浮かび上がる。
眼球は光り輝き、赤色に染まった。
猫の皮が破れ、中の結晶が剥き出しになってゆく。
コイツは一回目の封印魔法の時に生み出された結晶体……。
魔法を強制的に解除した犯人だ。
未来改変の影響を受けた俺は、特大級のエラーとなった。
だから俺は魔法の杭によって世界から消されたんだ。
あの時、透明人間の俺を化学室まで誘導したのはこの白猫だ。
そしてまた封印魔法の妨害をして、俺を連れ戻そうとしている。
『キキキ……キキキキキキ』
白い猫はバキバキと音を立て巨大化。
人間サイズのマネキン人形の姿に変化してゆく。
『何で……? 何でアンタにそんな事が分かるの?』
「分かるんだよ。俺にはな」
あの時と今では違う。
馬鹿みたいに冗談を言いあったり喧嘩もした。
俺は水鞠を大事な友達だと思っている。
いや、それだけじゃない。もっと大切な存在なんだ。
「俺は、水鞠コトリの事が大好きなんだよ」
部屋が大きく揺れ、壁に亀裂が走る。
天井は吹き飛ばされ、赤く染まった夜空が広がった。
部屋の床は賽の目に砕かれて次々と崩落を始めた。
「ヤバっ……!」
俺の足元も抜け落ち、身体ごと闇へと落ちてゆく。
掴む物は無い。伸ばした手は虚しく宙を切る。
暗闇に沈み行くしか無い現状の中で絶望感に襲われた。
……まだだ。諦めてたまるかよ!
ガクン、と身体が揺さぶられ、落下が停止した。
「…………!?」
右腕が何かに掴まれている。
俺の身体は空中にぶら下がった状態だ。
自分に何が起きているのか分からない。
不安定な身体を捻りながら見上げる。
すると、意外な光景が目に飛び込んで来た。
「結晶体……!?」
俺の腕を掴んでいるのは水鞠の造り出した結晶体だ。
崩落から免れた部屋の床から上半身を投げ出している。
ギリギリの体勢で俺の落下を食い止めていた。
「俺を……助けるのか……?」
そうだ。俺を消したいと願う奴は何処にも居なかった。
最初からコイツの願いは変わっていないんだ。
封印魔法を解除し、日高誠を連れ戻す事。
ゴメン……。
でも俺は、その願いを叶える事が出来ない。
深く息を吸い込む。
力を振り絞り、空に向かって叫ぶ。
『来い……水鞠コトリ! 結晶体は……ここに居るぞ!』
それは歪んだ空間に響き渡り、空へと吸い込まれて行く。
結界内の全ての音が消え、一瞬だけ静寂が生み出された。
爆発音と衝撃。
赤い空が破壊され、結界の壁が崩れ落ちる。
巻き起こる爆風。無数の破片。
それと共に落下する物体が一つ。
紺色の魔法着を靡かせ、水鞠コトリが空から降って来た。
落下地点には結晶体が居る。
ターゲットに向け、魔力を帯びた拳が振り落とされた。
『オラァ────────ッ!』
炸裂する魔法パンチ。
結晶体の頭部は砕かれ、切削音と火花が激しく飛び散った。
水鞠はパンチした体勢のまま静止。
魔力同士が空中で激突する。
『キキ……キキ……キ……』
呻く様な音。
それと同時に、結晶体の胸部に赤く光る球体が現れた。
核だ。
剥き出しになった核は金切音を立て、真っ二つになる。
ゴロリと転がり、闇の空間へと落下した。
空洞になった胸部を中心に、無数の亀裂が拡がってゆく。
結晶体の全身は粉々に砕かれた。
俺を繋ぎ止めているものは何も無い。
身体は重力のまま落下して行く。
真下は闇の空間だ。
「水鞠!」
必死に腕を伸ばす。
「日高……!」
俺を追いかけ、水鞠が腕を伸ばして闇へ飛び込む。
失われてゆく意識。
その中で、微かに指先が触れた。
白い世界だ。
俺は今、どこまでも続く白い空間を歩いている。
これって、まさか死後の世界ってヤツじゃないだろうな。
例えそうだとしても俺は驚かないだろう。
体があまりにも軽く、生きている心地がしない。
『日高』
呼ぶ声がする。
だが白い世界に変化は無い。
気のせいか? いや、確かに聞こえた。
水鞠の声だ。
俺は絶対に助かったはずだ。
それすらも信じられないのなら、奇跡なんて起こせない。
意志を込め、右手を強く握り締める。
祈りながら手を開くと、掌の上にビー玉の様な小さな球体が転がった。
「立体魔法陣……」
俺はマトモな魔法は使えない。ならば願う事は一つだけだ。
『水鞠コトリと話がしたい』
立体魔法陣がゼンマイ玩具の様に掌の上でコロコロと転がる。
それが停止した後、振動と共に砕け散った。
破片は小さな光となって消えてゆく。
「日高!」
「水鞠……!?」
目の前に水鞠コトリが立っている。
これは夢か幻か?
「良かった。ギリギリ日高の中の魔法空間に干渉出来たよ。
何でか分からないけど」
「いや、こっちこそ分からない事だらけなんだが」
魔法空間って何だよ。
まあ考えても無駄だろう。どうせ雑な設定の話だ。
水鞠コトリが微笑む。
「結晶体は破壊したよ。これで日高を封印出来る様になった」
「本当か?」
どうやら俺は助かったらしい。
水鞠はモジモジとしながら赤くなった顔を隠す様に俯く。
「ごめんなさい。全部アタシが悪かったんだ。
アタシの無茶な願いで日高を消滅させる所だった。
何だか凄く恥ずかしい……」
結晶体には核があった。
あの時には無自覚暴走の状態では無くなっていた。
今の水鞠は自分の願いを自覚している。
俺がそれに気付いている事を理解した上での反応だろう。
散々周りの人間を疑っておいて結局自分が犯人とか。
本当に酷い奴だよ。
いや、そもそも悪いのは俺だ。
「変な方法で水鞠を呼び出した俺が悪かったんだよ」
俺は結晶体を作り出した。
そして吉田の消しゴムと志本のリップクリームを引き寄せた。
全ては水鞠コトリに会う為だった。
でもそれは間違った方法だった。
だから世界は俺達の出会いを否定した。
志本紗英との引き合う力が暴走してしまった。
「だから水鞠。お前はもう、何も願わなくていい」
「日高……?」
水鞠が猫の様な瞳を震わせる。
「俺が自力で会いに行く」
例え記憶を失っても、俺はきっと水鞠コトリを追いかける。
自分の力で魔法の扉を開いてみせる。
「記憶と魔法が封印されるんだよ?
アタシの事を認識出来るはずが無い」
何度も首を横に振る水鞠。
「どうかな。俺はピンチの度に魔法が発動していたんだぞ?
記憶を取り戻す奇跡くらいは起こせるんじゃないか?」
「そんなの……絶対に無理だよ」
水鞠の様子からして、そんな簡単な話では無いらしい。
志本紗英とは、あり得ない事ばかりが起きまくっていた。
なのに水鞠とはダメとか理不尽過ぎるだろ。
魔法運命って何なんだよ。
魔法……運命……。
そうだよ。だったらその謎パワーに賭けるまでだ。
「なあ水鞠。俺の願いが実現出来たら……。
水鞠と俺の魔法運命値は何パーセントになる?」
その言葉に水鞠はキョトンとした様子になる。
俺の考えに気付くとクスリと笑った。
「百二十パーセントだね。
そんなの前世や来世や別の次元でも結ばれるレベルだよ!」
「よっしゃ、燃えてきたぞ」
「何で!? 馬鹿なの?」
才能も何も無い俺が魔法使いの側に居たいんだ。
その位の奇跡は必要だろう。
水鞠としばらく見詰めあった後、俺は手を差し伸べて握手を求める。
「必ず会いに行くからな」
水鞠は笑顔になり、それを小さな両手でそっと包み込む。
「そうだね。期待しないで待ってるよ」
俺はそのまま水鞠を引き寄せようと腕に力を入れる。
だが触れていた手は光の粒となって消えてしまった。
「水鞠!」
失われていく意識。
その中で微かに声が聞こえた。
『ありがとう日高。さようなら』




