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第二百三十八段 御随身近友が自賛とて(5)

(原文)

一、那蘭陀寺にて、道眼聖談義せしに、八災と伝ふ事を忘れて、「これや覚え給ふ」と言ひしを、所化みな覚えざりしに、局の内より、「これこれにや」と言ひ出したれば、いみじく感じ侍りき。


※那蘭陀寺:洛東六波羅に道眼が開いた寺。

※道眼:延慶二年(1309)頃、元に行き、戻って来た禅僧。生没年未詳。

※八災:「八災患」の略。人の心を惑わす八つの災い。憂・喜・苦・楽・尋・伺・出息・入息の八つ。

※所化:弟子。

※局:簾や屏風・几帳で区切った特別席。


(舞夢訳)

一、那蘭陀寺において、道眼聖が説法をなされた時に、「八災」ということを忘れて、「八災とは何であったか、誰か覚えておられるか」と言われたのを、弟子たちは覚えていなかった。

その時に、聴衆の中にいた私が「かれこれのことではないでしょうか」と声を出したところ、その場にいた人々は皆、感心したのであった。



説法者が度忘れした字句を、兼好氏が説明して、助けた話。

いかにも自慢めいているけれど、そもそもが兼好氏の自賛の段なので、書いたのだと思う。

知らんぷりをするよりは、まだ人間としての情があるというべきなのだろうか。

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