第二百三十一段 園の別当入道は(1)
(原文)
園の別当入道は、さうなき庖丁者なり。ある人のもとにて、いみじき鯉を出だしたりければ、皆人、別当入道の庖丁を見ばやと思へども、たやすくうち出でんもいかがとためらひけるを、別当入道さる人にて、「この程百日の鯉を切り侍るを、今日欠き侍るべきにあらず。まげて申し請けん」とて切られける。
いみじくつきづきしく、興ありて人ども思へりけると、ある人、北山太政入道殿に語り申されたりければ、「かやうの事、おのれはよにうるさく覚ゆるなり。切りぬべき人なくは給べ、切らんと言ひたらんは、なほよかりなん。何条、百日の鯉を切らんぞ」とのたまひたりし、をかしく覚えしと人の語り給ひける、いとをかし。
※園の別当入道:園家の祖、藤原基氏(1211-1282)。園流料理の祖。基氏の生まれた家は四条流庖丁の家。基氏はそこから分派して園流を開いた。
※北山太政入道殿:西園寺実兼。「北山」は西園寺家の館の「北山」から。
(舞夢訳)
園の別当入道は、比類なき料理の名手であった。
ある人のところで、すばらしい鯉を披露されたことがあり、そこにいた全員が別当入道の包丁さばきを見たいと思うけれど、なかなか言い出しにくくてためらっていると、別当入道は空気を読む人であったので、
「最近は、百日間、日課にして鯉をさばくことにしているのですが、今日もそれを欠かすわけにはいきません。ですから、是非、その鯛をいただきたいと思います」
とおっしゃられて、鯛をおさばきになられた。
実にその場に応じた振る舞いであり、居合わせた人が興味あることに思ったけれど、その中のある人が、それを北山太政入道にお話すると、北山太政入道は、
「そのような振る舞いについては、私としては、実に大げさで煩わしく思う」
「『料理人がおられないのなら、私がさばきましょう』と言ったほうが、よほど良かった」
「どうして百日の鯉切りなどと、わざわざ言うのか」
とおっしゃられ、その意見を面白く感じたと、ある人が語っていたけれど、私も同感である。
つまり園の別当入道の振る舞いは、「わざとらしい」と言うのが、北山太政入道と兼好氏の見解。
ただ、わざとらしくても、その場は盛り上がっている。
料理好きな園の別当入道は見事な鯉をさばきたくなった。
「百日鯉切り」は、実は照れ隠しかもしれない。
それを理解して、その場は盛り上がったのかもしれない。
そうなると、北山太政入道と兼好氏の批判的な視点は、その場に居合わせなかった人の、嫉妬かもしれない。




