第二百十七段 ある大福長者の言はく(2)
(原文)
「次に万事の用をかなふべからず。人の世にある、自他につけて所願無量なり。欲に随ひて志を遂げんと思はば、百万の銭ありといふとも、暫くも住すべからず。所願は止む時なし。財は尽くる期あり。限りある財をもちて、かぎりなき願ひに従ふ事、得べからず。所願心にきざす事あらば、我をほろぼすべき悪念来れりと、かたく慎み恐れて、小要をも為すべからず」
(舞夢訳)
「次に、万事において、必要を満たしてはならない」
「人生においては、自分に対しても、他人に対しても、様々な願いなどは尽きるものではない」
「その欲望に従って願いを果たそうとするならば、百万の銭があったとしても、すぐに消え去ってしまう」
「人間の願いは尽きることはない」
「しかし財産は尽きる時期がある」
「その尽きることのある財産を用いて、尽きることのない願いに従うことなどは、不可能である」
「欲望が心に起きてしまった時は、それは自分自身を滅ぼす悪心が生まれたと考え、かたく慎み恐れて、わずかな必要とて満たすべきではない」
厳しい論ではあるけれど、これも大切な論に思える。
現代の世でも、借金地獄に陥る人が多い。
無駄に贅沢な生活を望み、自らの返済能力をわきまえず、借金に走り、結局返済できない。
自らの収入では返済ができないので、結局返済資金までを借金する。
借金に借金を重ね、実生活よりは、返済期日と支払金利と金額のみに不安と関心が移る生活。
そんな生活、そんな人生に何の楽しみがあるのか。
特に願望に走り財産を失った人と、借金地獄に陥った人には、「痛い」論に聞こえると思う。




