第二百十四段 想夫恋といふ楽は
(原文)
想夫恋といふ楽は、女、男を恋ふるゆゑの名にはあらず。
本は相府蓮、文字の通へるなり。
晋の王倹、大臣として、家に蓮を植ゑて愛せし時の楽なり。
これより大臣を蓮府といふ。
廻忽も廻鶻なり。
廻鶻国とて、夷の、こはき国あり。
その夷、漢に伏して後に来りて、おのれが国の楽を奏せしなり。
※想夫恋:雅楽の曲名。舞は早くに絶えた。曲が残った。
「平家物語:小督」で、平清盛の怒りを恐れて嵯峨野に隠棲した小督が爪弾く琴の曲が「想夫恋」。「楽は何ぞと聞きければ、夫をおもふて恋ふとよむ、想夫恋といふ楽なり」。
「枕草子」では、「笙のこと、いとめでたし。さうふれん。過ぎぬる人を恋ふといふ」。
『源氏物語』にも常夏にも言及がある。
白楽天が「想夫憐」と表記したので、「想夫恋」とも書かれるようになった。
※晋:三国時代の魏を亡ぼした西晋とそれを継いだ東晋。(西暦265~419)
※王倹:東晋が滅んで後の南斉の人。(西暦452~489)
※王倹 南斉の高帝・武帝に仕えた。庭に蓮を植えたことから大臣のことを蓮府というようになった。
※廻忽:雅楽「廻骨」とも。舞は無い。「廻骨」とも。葬礼の時に用いる。
※廻鶻国:トルコ系異民族ウイグル族。8世紀から9世紀まで猛威を振るい、蒙古地方を領有した。
(舞夢訳)
「想夫恋」という曲は、妻が夫を恋慕うことから名付けられた歌ではない。
本来は「相府蓮」であって、字の音が通うので、このように書いたのである。
晋の王倹が大臣の時に、家に蓮を植えて楽しんだ時の歌であるので、この大臣を「蓮府」と称する。
「廻忽」の曲も、実は「廻鶻」と書く。
「廻鶻国」という強大な胡の国があって、その蛮人が中国に降伏した後に、中国の都に来て、自らの国の曲を演奏したことに由来するのである。
二つの曲の由来に関する話。
日本国内で出回ってしまった間違いを正す意図があったようだ。




