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第二百十一段 よろづの事は頼むべからず(2)

(原文)

身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。

左右広ければさはらず。前後遠ければ塞がらず。狭き時はひしげくだく。

心を用ゐる事少しきにしてきびしき時は、物に逆ひ、争ひて破る。

ゆるくしてやはらかなる時は、一毛も損せず。

人は天地の霊なり。天地は限る所なし。

人の性んぞことならん。

寛大にして極まらざる時は、喜怒これにさはらずして、物のために煩はず。


(舞夢訳)

自分も他人も頼りにしなければ、順調な時機は喜び、苦境の時は恨むことがない。

身体を動かすにしても、左右の空間が広ければ、邪魔になるものがない。

前後の間隔が離れていれば、その身体を置く余裕がある。

しかし、狭い場合は、その身体が押しつぶされてしまう。

心の動きに余裕と柔軟さがないと、他人と衝突して、その身を損なってしまう。

心をゆるやかに、やわらかにしていれば、毛一筋ほども、損なうことはない。

人間は、この天地の中でもっとも霊妙なものである。

そして、この天地には限界はない。

人間の本質も、実はそれと同じはずである。

心が寛大で限りなく広々としていれば、喜怒哀楽の感情も、その心を損なうことがなく、他人のために煩わされることはないのである。



単なる心の持ち様と解釈する解説書も多いけれど、それは兼好氏が暮らした「心狭き」京都人の世界への考慮が薄い。

とにかく、京都人は、徹底的に「位取り」の世界である。

つまり、何をするにも、自分と他人が、どちらが「上の位」なのかを厳密に判断してから動く。

それを間違えば、「頭が高い」「恩知らずや」「恥知らずや」「付き合いきれん」は当然、陰口の言い放題になる。

とある京都人が言っていたけれど、勝てないまでも、決して負けない「位」を必死に守り抜くことが京都人として暮らし続けるための最低条件で最重要課題。

そのためには、答えや言動は、常に曖昧なまま。

肯定もはっきりせず、否定もはっきりせず、表面的には相手の顔を立てる。

また、人を騙すよりは、うかつに人を信じて騙された人の方が、嘲笑れる社会。

それが兼好氏の時代は当然、もっと前から現代ま1200年は続いている。


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