第二百五段 徳大寺右大臣殿
(原文)
徳大寺右大臣殿、検非違使の別当の時、中門にて使庁の評定おこなはれける程に、官人章兼が牛はなれて、庁のうちへ入りて、大理の座の浜床の上にのぼりて、にれうち噛みて臥したりけり。
重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへつかはすべきよし、おのおの申しけるを、父の相国聞き給ひて、「牛に分別なし。足あれば、いづくへかのぼらざらん。尩弱の官人、たまたま出仕の微牛を取らるべきやうなし」とて、牛をば主に返して、臥したりける畳をばかへられにけり。
あへて凶事なかりけるとなん。
「あやしみを見てあやしまざる時は、あやしみかへりて破る」といへり。
※徳大寺右大臣殿:藤原公孝(1253-1305)とするのが通説。
※官人章兼:中原章兼。生没年未詳。当時左衛門少尉(下級役人)
※大里:検非違使庁別当の唐名。
※浜床:貴人の座所。三尺四方、高さ二尺ほどの座席を四つあわせて上に畳をしいた。
※相国:太政大臣藤原実基(1201-1273)。相国は太政大臣の唐名。
※尩弱:力の乏しいこと。
※微牛:貧弱な牛。
※あやしみを見てあやしまざる時は、あやしみかへりて破る:疑心暗鬼を生ずると同じ意味。中国のことわざらしい。
(舞夢訳)
徳大寺右大臣殿が、検非違使庁の長官であられた時代のことである、
御屋敷の中門の廊下にて、検非違使庁の評議が行われていた時に、官人章兼の牛車の牛が、そのつないであった所から離れて、庁舎の中に入り、長官が座る浜床に上に上り、反芻しながら横になってしまったのである。
これは重大な怪異として、その牛を陰陽師のもとに遣わすべきと、役人たちが口々に申し上げる中、長官の父である太政大臣がその事件を耳にして、
「牛はそもそも、分別などはない。足があるのだから、どんな場所にものぼるのだろう。下級の役人にとって、たまにしか使わない痩せた牛を没収される道理もないだろう」とおっしゃられた。
結局、牛は持ち主に返され、牛が横たわってしまった敷物をお取替えになられただけであった。
その後にも、全く凶事は発生しなかった。
「奇怪なことを見たとしても、それを奇怪と見ない場合は、それに伴う不穏な事を、成り立たせなくなる」と言われている。
牛の予想外の動きにアタフタとする検非違使庁の役人たち。
下級役人が、なけなしの痩せ牛を取り上げられるところを、「牛にそんな難しい分別などない、貧乏役人の痩せ牛を取り上げて何とする」と、お咎めなしにしてしまう太政大臣の理性的な判断が際立つ。




