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第百九十段 妻といふものこそ(1)

妻といふものこそ、をのこの持つまじきものなれ。

「いつも独り住みにて」など聞くこそ、心にくけれ。

「誰がしが婿になりぬ」とも、また、「いかなる女を取りすゑて、あひ住む」など聞きつれば、むげに心おとりせらるるわざなり。

ことなる事なき女をよしと思ひ定めてこそ添ひたらめと、いやしくもおしはかられ、よき女ならば、この男をぞらうたくして、あが仏とまもりゐたらめ、例えば、さばかりにこそと覚えぬべし。

まして、家の内を行い治めたる女、いと口惜し。



(舞夢訳)

妻というものこそ、男が持ってはならないものである。

「いつも独り住まいで」などを聞くのは、奥ゆかしい。

しかし、「誰それの婿となりました」とか、「これこれといった女を迎え取って一緒に暮らしています」などと聞くと、実にがっかりしてしまうのである。

どうということのない女に惚れてしまって一緒にいるのだと思うと、そんな人の日常の生活が実に所帯じみて安っぽく思われてならない。

仮に、その女が、その男にとって良い女であるならば、その男を大切に思い、まるで「私の仏様」などと、じっと見つめたりもするだろう。

言ってみれば、良い女としても、所詮はその程度止まりと感じるに過ぎない。

また、それ以上に、家の中を上手に差配する女も、実に面白くない。



兼好氏の結婚否定論になる。

要するに所帯じみるのが、嫌いなようだ。

所帯じみて、かつての優雅さは、どこへやら。

結局は、立派な女房、あるいは強い女房の家内切り回しにあって、どうにもならなくなる。


女性が読んだら、相当立腹するような結婚否定論(妻否定論)が続く。

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