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第百八十八段 ある者、子を法師になして(5)

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るるをもいたむべからず。

人の嘲りをも恥づべからず。

万事にかへずしては、一の大事成るべからず。

人の数多ありける中にて、ある者、「ますほの薄、まそほの薄などいふ事あり。わたのべの聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑笠やある、貸し給へ。かの薄の事習ひに、わたのべの聖のがり尋ねまからん」と言ひけるを、「あまりにも物騒がし。雨やみてこそ」と人の言ひければ、「無下の事をも仰せらるるものかな。人の命は、雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せなば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつつ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゆしくありがたう覚ゆれ。「敏き時は則ち功あり」とぞ、論語と言ふ文にも侍るなる。

この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。



※ますほの薄・まそほの薄:歌語。「ますほ」「まそほ」は顔料に用いる赤土を指す言葉。その色のように穂先が赤く染まった薄。現在のムラサキススキ。

「まそほ」が本来の形で、「ますほ」とは元来同じもので、それがいつのまにか変化してしまったらしい。

※わたのべの聖:「渡辺」は摂津渡辺。その付近に住む隠遁者らしい。

※登蓮法師:中古六歌仙の一人。生没年は未詳。


(舞夢訳)

一つの事を必ず達成しようと思うなら、他の事が達成できないことで悩んではならない。

そして、他人の嘲りなどは、恥と思ってはならない。

万事を犠牲にしない限り、一つの大事など達成できるものではない。

人が多く集まっている席で、ある人が「ますほのすすき、まそほのすすき等という言葉があります。渡辺の聖が、そのことについて、伝え聞いているようです」と語った。

すると、その席にいた登蓮法師が、それを聞き、たまたま雨が降っていたので、「蓑と笠はございますでしょうか。お貸しいただきたい。そのすすきの話を聞きたいので、渡辺の聖の所を尋ねたいのです」と言った。

周囲の人は、「それは、あまりにもせっかちと思います。それでも雨がやんでからにしたらいかがでしょうか」と言うと、登蓮法師は「あなたがた、とんでもないことを言われます。人の寿命は雨の晴れ間などは待つものでしょうか。雨が上がるまでに私も死に、聖も死んでしまえば、尋ね聞くことが出来ますでしょうか」と言い張り、雨の中を走り出て、聖の所に行き、そのことを習って来たと、言い伝えられている。

私は、これは滅多にない立派な話だと思う。

「すぐに行えば成就する」と、「論語」と言う書物にも書かれているそうだ。

登蓮法師が、すすきのことを知りたくなったように、最初に取り上げた法師も、悟りを開く機縁を、しっかりと考えるべきだったのである。


「すすき」の話が、人生の一大事とまでは思えないけれど、この登蓮法師は思い立ったら我慢が出来ない性格だったのだろうか。

とんでもない大成功をする人は、どこか雑事を気にしない部分がある。

細々としたものに心を奪われていると、なかなか大きな対象まで気が向かない。


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