第百八十一段 ふれふれこゆき
(原文)
「『ふれふれこゆき、たんばのこゆき』といふ事、米つきふるひたるに似たれば、粉雪といふ。『たまれ粉雪』と言ふべきを、あやまりて、『たんばの』とは言ふなり。『垣や木のまたに』と歌ふべし」と、ある物知り申しき。
昔より言ひけにや。
鳥羽院幼くおはしまして、雪の降るに、かく仰せられけるよし、讃岐典侍が日記に書きたり。
※ふれふれこゆき、たんばのこゆき:わらべ歌。「たんば」は丹波地方。
※鳥羽院:第74代天皇(在位1107~1123)。
※堀川・鳥羽の二帝に典侍として仕えた。
(舞夢訳)
「『ふれふれこゆき、たんばのこゆき』と言うのは、米をついてふるいにかけた時に落ちる米の粉に似ているので、粉雪と言う。『たまれ粉雪と言うべきを、間違って『たんばの』と言う」。これに続いて『垣や木のまたに』と歌うことになっている」と、ある物知りが言った。
昔から、そのように言ってきたのだろうか。
鳥羽院が御幼少の頃、雪が降った時に、このように仰せられたとのことが、讃岐典侍の日記に書かれている。
童謡の中の言葉が、時代を経るにしたがって変化した例になる。
この場合は、「たまれ」が「たんばの」に変化。
鳥羽院が御幼少の時であれば、口が回らず、周囲には「たんばに」ろ聞こえたのかもしれない。
まさか丹波と垣は木のまたとは、結び付かないので、兼好氏も興味があって物知りの言葉や讃岐典侍の日記まで紹介したようだ。




