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第百八十段 さぎちやうは
(原文)
さぎちやうは、正月に打ちたる毬杖を、真言院より神泉苑へ出して、焼きあぐるなり。
「法成就の池にこそ」とはやすは、神泉苑の池をいふなり。
※さぎちやう:「左義長」「三毬杖」などと多様に書かれるけれど、意味は未詳。宮中で正月の十五日夕刻と十八日早朝に行われた。現代のどんど焼きのようなもの。
※毬杖:木製の毬を打つために使う槌形の杖。
※真言院:大内裏の八省院の北にあった。密教の修法の道場。
※法成就:焼く時のはやし言葉。修法が所期の目的を達成し功験が現れる意味。神泉苑で空海が雨乞いの祈願をささげ雨をふらせた故事がある。
(舞夢訳)
さぎちやうは、正月に打って遊びをした毬杖を、真言院から神泉苑に持ち出して、焼いて燃え上がらせる行事である。
「法成就の池にこそ」と言いはやすのは、神泉苑の池のことである。
どんど焼きの原点のような話。
確かにその時期は雨が少なく空気が乾燥する。
かつての空海の祈願を思い出し、それにあやかろうと思うのだろうか。




