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第百七十七段 鎌倉中書王にて

(原文)

鎌倉中書王てに、御毬ありけるに、雨降りて後、いまだ庭の乾かざりければ、いかがせんと沙汰ありけるに、佐々木隠岐入道、鋸のくづを車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひなかりけり。

「とりためけん用意ありがたし」と、人感じあへりけり。

この事をある者の語り出でたりしに、吉田中納言の、「乾き砂子の用意やはなかりける」とのたまひたりしかば、恥づかしかりき。

いみじとおもひける鋸のくづ、賤しく、異様の事なり。

庭の儀を奉行する人、乾き砂子を設くるは、故実なりとぞ。



※鎌倉中書王:鎌倉幕府六代将軍。宗尊親王。後に廃されて、晩年は出家。「中書」は中務の唐名。ここでは、親王に鎌倉の御所をさす。

※佐々木隠岐入道:佐々木政義。幕府の近臣。

※吉田中納言:未詳。 


(舞夢訳)

鎌倉の中書王の御所で蹴鞠が行われた時に雨が降り、その後庭が乾かないので、どうしたものかと話し合っていると、佐々木隠岐入道がおがくずを車に積み、多く献上した。

そしてそれを一面の庭に敷いたので、泥だらけの土で難儀することはなかった。

「おがくずを取りためておいた準備は実にありがたいことだ」と人々は感心したのである。

この事例を、とある人が話題として取り上げたところ、吉田中納言が「乾いた砂の準備はなかったのですか」とおっしゃられたので、実に感心させられた。

素晴らしいと思っていたおがくずであるけれど、やはり賤しいものであって、庭に敷くものとしては、ふさわしくない。

庭の整備を担当する人は、乾いた砂を準備することが、古来からのしきたりであるそうだ。



都から遠く離れた鎌倉では、蹴鞠を行う前に、乾いた砂を準備しておくなどの知識も理解もなかった。

佐々木入道の対応は、その時には感心させられたけれど、都の知識人から見れば下賤である。

鎌倉幕府、そして東国の文化は、それを見るだけでも、実に賤しく恥ずかしいものである。


何かにつけ、京都以外の人と所業に難癖をつけ、軽蔑したがる京都人、そんな印象を持つ。

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