第百七十五段 世には心得ぬ事の多きなり(5)
(原文)
かくうとましと思ふものなれど、おのづから捨てがたき折もあるべし。
月の夜、雪の朝、花のもとにても、心のどかに物語りして盃出だしたる、よろづの興を添ふるわざなり。
つれづれなる日、思ひの外に友の入りきて、とり行ひたるも、心なぐさむ。
なれなれしからぬあたりの御簾の中より御果物・御酒など、よきやうなるけはひしてさし出だされたる、いとよし。
冬、狭き所にて、火にて物煎りなどして、隔てなきどちさし向ひて、多く飲みたる、いとをかし。
(舞夢訳)
酒はこのようにうとましいと思うものであるけれど、その時によっては、捨てがたき場合があると思われる。
月の美しい夜、雪が美しく降る朝、桜の花の下で、のんびりと話をして盃を酌み交わす時には、様々な興趣をその話題の添えてくれるものである。
所在が無い日に、突然友が訪れ、酒を酌み交わすのも、心を慰めてくれる。
高貴なお方の御簾の中から肴や酒を、実に典雅な雰囲気で差し出されるのも、実に素晴らしい。
火を用いて何かを煎ってみたり、気を許した者同士が差し向って、存分に飲むのも、本当に楽しいことである。
一転して、酒を擁護している。
要するに無理やり飲むのではなく、飲み仲間同士、節度を保ち、飲むことなら素晴らしいと言いたいようだ。




