第百七十五段 世には心得ぬ事の多きなり(2)
(原文)
人のうへにて見るだに心憂し。
思ひ入りたるさまに、心にくしと見し人も、思ふ所なく笑ひののしり、詞多く、烏帽子ゆがみ、紐はづし、脛高くかかげて、用意なき気色、日来の人とも覚えず。
女は額髪はれらかに掻きやり、まばゆからず顔うちささげてうち笑ひ、盃持てる手に取りつき、よからぬ人は肴取りて口にさしあて、自らも食ひたる、様あし。
声の限り出だして、おのおの歌ひ舞ひ、年老いたる法師召し出だされて、黒くきたなき身を肩抜ぎて、目もあてられずすぢりたるを、興じ見る人さへ、うとましく憎し。
(舞夢訳)
酔っ払いは、他人の様子を見ているだけでも、気分が悪くなる。
本来は思慮深く好感を持たれる人であったけれど、それが理性を失って馬鹿笑いをして、しゃべり続け、烏帽子はだらしなく曲がり、衣の紐はときはずしてしまい、脛をまくってむき出しにするなど、他人の目を憚らない様子は、いつものその人とは思われない。
女性も、額髪をかき分けて、その顔をはっきりと見せてしまう、恥じらうことなく顔を上にあげて大笑い、盃を持つ人の手にすがり付き、下品な人になると、酒の肴を手に持って、他人の口に無理やり押し付け、それをまた自分でも食べているなど、実に醜態である。
大声を出せる限り出して、それぞれが歌ったり舞ったり、老いた法師が呼びつけられて、黒くて汚らしい身であるのにもろ肌を脱ぎ、目も当てられないほど恥ずかしいままに、その身をよじるのは、それを見て興じる人たちまでもが疎ましく、憎々しく感じてしまう。
兼好氏の時代の酔いが回り、大騒ぎをする人々を詳細に記している。
現代では、あまり見られない、相当なひどい状態と思う。
兼好氏でなくても、冷静に見ている人なら、呆れない人はいないと思う。
まあ、こんな人たちがいたと思えば、面白いのかもしれない。




