表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
240/338

第百七十三段 小野小町が事

(原文)

小野小町が事、きはめてさだかならず。衰へたるさまは、玉造と言ふ文に見えたり。この文、清行が書けりといふ説あれど、高野大師の御作の目録に入れり。

大師は承和のはじめにかくれ給へり。

小町が盛りなる事、その後の事にや、なほおぼつかなし。


(舞夢訳)

小野小町のことについては、まったくよくわからない。

容色が衰えた頃のことについては、「玉造」という文に書いてある。

さて、この文は清行が書いたとの説があるけれど、高野大師の御作の目録にも入っている。

しかし、その大師は承和の初め頃に、お亡くなりになっている。

小野小町の最盛期は、その後の事になると思うので、やはりあやふやなのである。


小野小町は平安中期の女流歌人、生年は820年から830年までの間らしい。

家系、伝記は未詳。美貌と歌の才能(六歌仙)だけは、あまりにも有名。

「玉造」は『玉造小町壮衰書』落魄した美女のありさまを描いたものになるけれど、ここに書かれた、衰えたかつての美女が、小野小町のことかであるとは限らない。尚、清行は、三善清行。参議。延喜18年(918年)没。

高野大師は空海。その没年の承和のはじめは、承和二年(835)三月になるので、小野小町の生年が820年から830年なので、どう考えても女盛りとは言えない。


兼好氏は、いろんな説があるけれど、「どれも違うのではないか」と危ぶんでいる。それ以前の話として、そもそも、美人が衰えたことを文にするなど、無粋の極みなのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ