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第百七十一段 貝をおほふ人の(2)

(原文)

よろづの事、外に向きて求むべからず。

ただ、ここもとを正しくすべし。

清献公が言葉に、「好事を行じて、前提を問ふことなかれ」と言へり。

世を保たん道もかくや侍らん。

内を慎まず、軽く、ほしきままにしてみだりなれば、遠き国必ず叛く時、はじめて謀を求む。

「風にあたり、湿に臥して、病を神霊に訴ふるは、愚かなる人なり」と医書に言へるがごとし。

目の前なる人の愁へをやめ、恵みを施し、道を正しくせば、その化遠く流れん事を知らざるなり。

禹の行きて三苗を征せしも、師を班して、徳を敷くにはしかざりき。


※清献公:中国宋代の名臣。徳の高い政治家として知られる。

※禹:古代中国の伝説的な聖天子。舜の禅譲により即位し夏の創始者となる。

   舜の命令により軍勢を率いて異民族三苗を攻めたが成果が上がらず、益の進言

   によって軍勢を引き上げ国内に徳性をしくと、70日で三苗は降伏したという

※三苗:湖南省・湖北省・江西省にいた異民族。苗族。


(舞夢訳)

あらゆることに共通しているのは、自分の外に向かって、求めるべきではないということである。

ただ、身近なところを、正しく整えるべきである。

清献公の言葉で、「現時点でよいことを行うべきであり、遠い将来のことを問題にするべきではない」というものがある。

世間を治める道も、その通りであると思う。

内政を充実させず、深く考えることなく、気ままで堅実な統治がなければ、遠い国が必ず反乱を起こし、その時にはじめて、対応策を考えることになる。

「風にあたり、湿気の多い場所で病に臥す、治癒は神に祈るのは、愚かな人である」と、医書にも書いてある。

まずは目の前の人の不満を解消し、恩恵を与え、正しい政治を行えば、その影響は遠方まで及ぶということを知らないのである。

禹が遠征をして、三苗を討伐した効果は、その軍団を帰して、徳政を行った効果には及ばなかったのである。



前回の遊戯論で示された「灯台もと暗し」を政道論に反映させている。

兼好氏の生きた時代は、庶民の困窮や世情不安を顧みず、権力者間での抗争に明け暮れる社会であったのだろうか。

ただ、人間社会は、どんな時代でも、概ね、そんな様相を示す。

聖人が徳政を敷けば、自然に万事が上手に治まるなどは、ほぼ幻想でしかない。

この文も、儒教の倫理観を反映している部分が多いけれど、その祖孔子は在世時は結局、どの国からも採用されなかった。

各国指導者からは、「机上の空論であり、実際には即効性がない」と判断されたようだ。

そうなると、儒教理論こそが、国家経営に際しては、「遠い将来のことを問題にしている」ということになる。

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