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第百六十九段 何事の式といふ事は

(原文)

「何事の式といふ事は、後嵯峨の御代までは言はざりけるを、近きほどよりいふ詞なり」と人の申し侍りしに、建礼門院の右京大夫、後鳥羽院の御位の後、また内裏住みしたる事をいふに、「世のしきもかはりたる事はなきにも」と書きたり。


※何事の式:なになにのやり方、きまり。

※御嵯峨院:第88代天皇。仁知3年(1241)正月~寛元4年(1246)正月まで在位。

※建礼門院:高倉天皇中宮。安徳天皇の母。平清盛の息女徳子。壇ノ浦で沈むけれど、引き上げられた。

※右京太夫:当初は建礼門院に仕え、後に後鳥羽院に仕えた。

※世のしき:建礼門院右京太夫集では「世のけしき」とする写本が大半。兼好氏の認識違いの説がある。


(舞夢訳)

「何々の式などということは、御嵯峨院の御代までは言われなかったのに、近年になってから、言われるようになりました」と、ある人が申していたけれど、建礼門院の右京太夫は後鳥羽院が御即位の後、女官として再び宮仕えしたことにふれて、「世の式も、特に変わったことなどは、何もないのに」と書いている。


当初は建礼門院に仕え、平家没落後は、政敵でもある後鳥羽院に仕えた右京太夫。

女官として、優秀だったのかもしれない。

「世のしき」あるいは「世のけしき」のどちらが本文であったかは、なかなか把握が難しい。

平家が没落しても、内裏の儀礼のやり方に変更がないのか、右京太夫から見える世情に変化がないのか、疑問が残る一文である。

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