第百五十五段 世に従はん人は(3)
(原文)
生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。
四季なほ定まれるついであり。
死期はついでを待たず。
死は前よりしも来らず、かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来る。
沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。
(舞夢訳)
生・労・病・死が移り変わって現実となるのは、それ以上に早い。
四季の変化は、早いとは言っても、それなりの順番がある。
しかし、死期は順番など、待ちはしない。
死は目の前からやって来るだけではない、かねてから、その人の背後に迫っている。
人は皆、死ぬことを知っているけれど、その覚悟が整っていない時に、突然やって来る。
沖の干潟は、遥か遠くに見渡せていても、足元の磯から、知らず知らずのうちに潮が満ちて来るようなものだ。
医療技術が進歩し、超高齢化社会となった現代日本であっても、自分が長生きできるかどうかは、未確定。
ただ、忙しい生活を送る中、どれほど人は自分の突然の死など意識するだろうか。
突然の死を意識しながら暮らすとは、いったい、どういう暮らし方なのだろうか。
なかなか、古来、人が解決できない難問の一つである。




