第百五十五段 世に従はん人は(1)
(原文)
世に従はん人は、先づ機嫌を知るべし。
ついで悪しき事は、人の耳にもさかひ、心にもたがひて、その事成らず。
さやうの折節を心得べきなり。
但し、病をうけ、子うみ、死ぬる事のみ、機嫌をはからず、ついで悪しとてやむことなし。
生・住・異・滅の移りかはる、実の大事は、たけき河のみなぎり流るるが如し。
暫しも滞らず、ただちに行ひゆくものなり。
されば、真俗つけて、必ず果し遂げんと思はん事は、機嫌をいふべからず。
とかくのもよひなく、足を踏み止どむまじきなり。
(舞夢訳)
世間の中で生きていこうとする人は、まず、時機ということを知らなければならない。
その時をわきまえないことは、他人の耳にも逆らい、心にも合わず、結局、臨んだ目的は成就しない。
それを考えて、適切な時機を考慮するべきなのである。
ただし、発病、出産、死亡についてだけは、時機の良し悪しなどは無関係であって、時機が悪いからと言って、留められるものではない。
そのような、生成、存続、変化、死滅といった無常の流れのように、重大な事は、勢い激しい川がみなぎり流れていくようなものである。
少しも滞ることなく、次々に現実の事となっていく。
それだから、仏道であれ、世俗の事であれ、絶対に成し遂げようとする事は、時機にこだわるべきではない。
様々な準備に手間取ることなく、中止もするべきではない。
世俗に生きるなら、言動を起こす際には、基本的に時と場合を考えるべき。
それを考えなければ、他者には、迷惑の場合があるので、目的の成就は困難。
ただし、発病、出産、死亡は、不如意であり、無理なので、考えるべくもない。
そして、世は無常の急流が流れていることを理解して、出家や世俗であっても、真に大事と思うこと、ためらいなく、即、実行し、中止などするべきではない。
確かに、実にわかりやすい処世論と思う。
無理をしてはならない事柄。
無理が出来ない事柄。
何が何でもやり遂げなければならない事柄にわけて、論を進めている。




