第百五十三段 為兼大納言入道召し捕られて
(原文)
為兼大納言入道召し捕られて、武士どもうち囲みて、六波羅へ率て行きければ、資朝卿、一条わたりにてこれを見て、「あなうらやまし。世にあらん思ひ出、かくこそあらまほしけれ」とぞ言はれける。
(舞夢訳)
為兼大納言入道が召し捕られて、武士たちに囲まれて、六波羅に連行されていった折に、資朝卿は一条の付近でこの様子を見て、「なんとうらやましいことか、この世に生きた証は、このようでなければならない」と語ったと言われている。
※為兼大納言入道:権大納言京極為兼。藤原定家の曽孫。京極派の中心歌人として二条為世(兼好氏の師匠)と対立した。二度にわたって捕えられ、始めは佐渡に、二度目は土佐に流された。この記事は二度目の時のもの。後に許されて河内に移ったが元弘2年(1332年)没した。帰京はできなかった。逮捕理由は関東申次の西園寺実兼の幕府への讒言などによる。
逮捕されてうらやましいと思うなど、通常の人の感性ではない。
島流しに憧れでもあったのか、権謀術数に溺れるしかない都の生活に相当の嫌悪があったのか。
いずれにせよ、その時代に生きていないと、実感として理解しづらいものがある。
尚、兼好氏がこの段を書いたのは、兼好氏が「配所の月」に憧れた人であったからと言われている。
身分や出世にこだわりなく、自らの考えを貫く。
それが原因で、島流しにあったとしても、何も気にしないどころか、閑静な島流しの生活を楽しむことができることを、喜ぶ。
いかにも、遁世人らしい兼好氏の考え方である。




