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第百五十二段 西大寺の静然上人、腰かがまり

(原文)

西大寺の静然上人、腰かがまり、眉白く、誠に徳たけたる有様にて、内裏へまゐられたりけるを、西園寺内大臣殿、「あなたふとの気色や」とて、信仰の気色ありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候」と申されけり。

後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるを引かせて、「この気色尊く見えて候」とて、内府へまゐらせられたりけるとぞ。


(舞夢訳)

西大寺の静然上人は、腰が曲がり、眉も白く、実に徳が高そうな有様であった。

その上人が内裏に参内した折に、西園寺内大臣殿が「いやいや、なんと尊く見える御様子であろう」と言われ、上人に対して深く頭を下げたところ、資朝卿は上人を見て、「単に年齢からそうなる」と言われた、

後日になって、資朝卿は、かなりみすぼらしくなった老犬で、その毛もまばらになったのを引かせて、「この犬は、実に尊く見えます」として、内大臣に献上なされたとのことである。


※西大寺:大和西大寺。南都七大寺の一つ。奈良市西大寺町にある。天平神護元年(765年)称徳天皇の創建。東大寺とならぶ大寺。真言律宗の総本山。一時衰えていたが、鎌倉中期に叡尊が再興した。 

※静然上人 叡尊から四代目にあたる西大寺長老。元弘元年(1331年)没。80歳。

※西園寺内大臣殿:西園寺実衡。元亨4年(1324年)内大臣。代々の親幕派。

※資朝卿 権中納言日野資朝。後醍醐天皇の寵臣。元亨元年(1321年)参議。元亨4年(1324年)後醍醐天皇による討幕計画が洩れ、日野俊基とともに六波羅探題に逮捕され、佐渡島に流され、正慶元年(1332年)斬られた。43歳。『太平記』にも登場している。気骨のある人物として有名。



ただ単に年老いた容姿だけで尊く拝まれるなら、犬とて同じ。

資朝卿の反骨精神は、なかなか面白いけれど、結局は斬罪にて命を落とす原因の一つになる。

わざわざ余計な事をして、身分が上の、しかも自分にとっては敵側(親幕派)に嫌みをしなくてもいいと思うけれど、それを我慢できないのが、この人物の魅力でもあり、危うさでもある。

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