第百四十六段 明雲座主、相者にあひ給ひて
(原文)
明雲座主、相者にあひ給ひて、「おのれ、もし兵杖の難やある」と尋ね給ひければ、相人、「誠にその相おはします」と申す。
「いかなる相ぞ」と尋ね給ひければ、「傷害のおそれおはしますまじき御身にて、かりにも、かく思し寄りて尋ね給ふ、これ既に、その危ぶみのきざしなり」と申しけり。
はたして、矢にあたりて失せ給ひにけり。
※明雲座主:(1115-1183)第55・57代天台宗比叡山座主。権大納言久我顕通の次男。木曽義仲の法住寺合戦の際、流れ矢に当たって死んだ。
(舞夢訳)
明運座主が人相占いの人に相対して、「私は、もしかして武器による攻撃で難を受けることがあるだろうか」と尋ねなさったところ、人相占いの人は、「確かに、その相をお持ちです」と答えた。
明運座主が重ねて「いったいどのような相なのか」と尋ねなされると、人相占いの人は、「そもそも傷害の恐れもない御身分のお方が、そんなことを思いつき、この私にお尋ねになられたのです。それこそが今後の危難の兆しなのです」と答えた。
その人相占いの人の予言通りに、明運座主は矢に当たって亡くなられたのである。
『源平盛衰記』三十四・信西相明雲言からの引用。
後白河院が比叡山に登った折のことで、明雲を予言したのは少納言入道信西。
しかし信西は明雲が座主になった時すでに死んでいる。
兼好氏は怪しい話であり、矛盾を避けるために相人の名を信西としなかったとされている。
この段で、兼好氏が何を語りたかったのかは不明であり、学者も疑問を持つ人が多い。
しいて言えば、政治を比叡山に有利に導こうとする、比叡山の武装化への批判か。
人相占いの予言を気にするのも、本来は将来への執着も捨てるべき出家者としては、あるまじきものなのか。
流れ矢で死ぬのも、占いが当たったと言うよりは、自業自得と言いたいのか。
本人に聞かないとわからない段の一つと思う。




