第百四十五段 御随身秦重躬
(原文)
御随身秦重躬、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よくよく慎み給へ」と言ひけるを、いと真しからず思ひけるに、信願馬より落ちて死ににけり。道に長じぬる一言、神のごとしと人思へり。
さて、「いかなる相ぞ」と人の問ひければ、「きはめて桃尻にして、沛艾の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる」とぞ言ひける。
※御随身:上皇・摂関・大臣などが外出の際、勅命を受けお供する近衛府の武官。
※秦重躬:後宇多院に仕えた随身。
※下野入道信願:未詳。
※桃尻:桃の実のように安定感を欠く尻の形。
※沛艾の馬:荒々しい馬。
(舞夢訳)
御随身の秦重躬が、北面の武士の下野入道心願に対して、
「あなたは、落馬の相がある人です。よくよく慎重になさってください」
と言ったそうであるけれど、心願はほとんど気にしていなかった。
しかし、心願は結局、落馬して亡くなってしまった。
一つの道に長じた人の言葉は、神がかることがあると、人々は思ったのである。
そこで、ある人が、
「貴方には、どのような相が実際に見えたのでしょうか」
と聞いたところ、重躬は、
「かのお人は、極めて桃尻だったのですが、そのわりに、荒々しい馬を好んでおりましたので、落馬の相と見たのです。私がいつ間違ったことを言ったのでしょうか」と言ったとのことである。
さて、秦氏は馬の名手が多く、随身に多く採用された。
また下毛野氏も、同様で秦氏と張り合う関係だったらしい。
しかし、落馬の相の判断は、別に神秘的な話でもなく、ただ単に尻の形を基準にしている。
具体的な根拠を示した判断なので、そのほうが「神秘」よりは、余程わかりやすい。




