第百三十九段 家にありたりき木は(4)
(原文)
草は、山吹・藤・杜若・撫子。
池には蓮。
秋の草は荻・薄・桔梗・萩・女郎花・藤袴・紫苑・われもこう・かるかや・竜胆・菊。黄菊も。
蔦・葛・朝顔、いづれもいと高からず、ささやかなる、墻に繁からぬ、よし。
この外の、世に稀なる物、唐めきたる名の聞きにくく、花も見馴れぬなど、いとなつかしからず。
おほかた、なにも珍しくありがたき物は、よからぬ人のもて興ずるものなり。
さやうのもの、なくてありなん。
(舞夢訳)
草は、山吹、藤、杜若、撫子がよい。
池には蓮がよい。
秋の草は、荻・薄・桔梗・萩・女郎花・萩・女郎花・藤袴・紫苑・われもこう・かるかや・竜胆・菊。黄菊もよい。
蔦・葛・朝顔はどれも、それほど丈が高くならなくて、ささやかであって垣根にあまり繁っていないのがいい。
これら以外の珍しいものや、唐風の聞きなれない名前で、花も見なれないものには、あまり興味がない。
だいたいにおいて、珍しくて滅多にないものは、程度の低い人が喜ぶものである。
そのようなものなど、無くてもかまわないと思う。
草花論は、普通のもの。
最後の文の「なにも珍しくありがたき物は、よからぬ人のもて興ずるものなり。
さやうのもの、なくてありなん」は、なかなか面白い。
珍奇なものを収集して、大騒ぎする人が兼好氏の時代にもいたのだと思う。
教養高く品性の高い人は、珍奇なものには、すぐには飛びつかない。
興味を持ったとしても、慎重に賢く、その騒動を見る。
軽薄にブームには、乗らない、いつかは廃れるものかもしれない、そんなものに浅はかに興味は示さない、そんなところだろうか。
草花とは違うけれど、かつて「激辛ブーム」があったけれど、今はどこに行ったのだろうか。




