第百三十九段 家にありたりき木は(1)
(原文)
家にありたき木は、松・桜。
松は五葉もよし。
花は一重なるよし。
八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ、世に多くなり侍るなる。
吉野の花、左近の桜、皆一重にてこそあれ。
八重桜は異様の物なり。
いとかちたくねぢけたり。
植ゑずともありなん。
遅桜、またすさまじ。虫のつきたるもむつかし。
※左近の桜:紫宸殿の南庭の階の東に植えた桜。朝儀の時、左近衛府の官人たちがこの南に並んだことに由来。当初は梅だったけれど桜に変更された。
(舞夢訳)
家に植えておきたいと思う木は、松と桜である。
松は五葉松でもいい。
桜は一重がよい。
八重桜はかつては奈良の都にだけあったけれど、最近は、世に多くなったようである。
吉野の桜にしろ、左近の桜は、みな一重である。
それを考えると、八重桜は異様なものである。
かなり仰々しく、ねじれた姿をしている。
だから、植えなくてもいいと思う。
遅桜も、また興がさめてしまう。
毛虫がついているのも、不愉快である。
すっきり好みの兼好氏は、少々派手な八重桜がお気に召さなかったようだ。
美しかるべき桜に、毛虫がつくなどは論外。
八重桜にも、遅桜にも、毛虫にも、それなりの事情があると思うけれど。
何事にも執着しないはずの遁世人も、何かを嫌いになる自由は、残していたようだ。




