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第百三十八段 祭過ぎぬれば、後の葵不用(2)

(原文)

御帳にかかれる薬玉も、九月九日、菊に取り換へらるると言へば、菖蒲は菊の折までもあるべきにこそ。

枇杷皇太后宮かくれ給ひて後、古き御帳の内に、菖蒲・薬玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「折ならぬ音をなほぞかけつる」と弁の乳母の言へる返事に、「あやめの草はありながら」とも、江侍従が詠みぞかし。


(舞夢訳)

御帳にかけられる五月五日の薬玉も、九月九日に菊と取り換えられるというのだから、薬玉に使う菖蒲は菊の季節までは、あるべきなのだと思う。

枇杷皇太后がお隠れになられた後に、古い御帳の内に菖蒲や薬玉が枯れたのがあったのを見て、「時期ではない根を、いまだにつけて」と弁の乳母が詠んだのに対して、「あやめの草はまだ」と、江侍従が詠んだと言われている。


※九月九日:重陽の節句。

※枇杷皇太后:藤原道長の次女妍子。三条天皇中宮。晩年は枇杷殿に住んだ。寛仁2年(1018年)皇太后宮。万寿4年(1027年)崩御。34歳。 

※「折ならぬ根をなほぞかけつる」:「あやめぐさ涙の玉にぬきかへて折ならぬねをなほぞかけつる」(千載集)(あやめぐさをさしていたのを、涙の玉につけかえて、時期はずれですが涙を私はなおも流すのです)

※「あやめの草はありながら」:「玉ぬきしあやめの草はありながらよどのは荒れむものとやは見し」(千載集)(主人が亡くなった後も薬玉に通したあやめの草は残っていますのに、夜の床が、これほど荒れ果てるなんて思いもしませんでした)



これも、枯れたものに残された風雅を愛する心を書いている。

34歳の若さで崩御された皇太后の御帳に残されていた枯れた菖蒲や薬玉。

もう主人がいないからと言って、軽く捨てることなどは、できない。

杓子定規の潔癖さで簡単に思いも捨てることもできない。


枯れたる美しさを愛する心は、実は枯れていない。

盛時の美しさも含めて全てを愛でる、そんな広く深い心なのだと思う。

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