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第百三十七段 花はさかりに、月はくまなき(6)

(原文)

何となく葵かけわたしてなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれかなど思ひ寄すれば、牛飼・下部などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行きかふ、見るもつれづれならず。

暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづかたへか行きつらん。

ほどなく稀に成りて、車どもの乱がはしさもすみぬれば、簾・畳も取りはらひ、目の前にさびしげになりゆくこそ、世のためしも思ひ知られて、あはれなれ。

大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。


(舞夢訳)

全てに葵をかけ優美な雰囲気に包まれる中、夜も明けきらない頃に、あちらこちらから忍びながらあつまって来る牛車の主人を知りたく思い、あのお方か、このお方かと予想していると、どうやら顔見知りの牛飼や従者が目に入って来る。

情趣にあふれ、華やかに様々な車で行きかう様子は、実に見ていて飽きることがない。

夕暮れ時になると、道路に隙間なく立ち並んでいた車も、割り込むことも難しく並んでいた人々も、いったいどこに消えてしまったのだろうか。

あっという間に、まばらになる。

車の渋滞も無くなる頃には、簾や畳も取り払われて、目の前の様子も実に寂しげになっていく、まるで、この世の無常を見るようで、実に心にしみる味わいがある。

このような、大路の移り変わりを見ることこそが。祭りを見るということなのである。



祭りを見るとは、その最高潮の時を見るだけでは片田舎の下品な人々と同じ。

祭りの始まりと終わりに、また見逃せない風情がある。

始まる前の期待感、終わってからの大路に漂う余情。


特に「余情」については、茶の湯の基本の一つに昇華した。

詳しく説明することは、実に野暮なことになるので省略。


「余情」の文字だけでも、感じる人は感じると思う。


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