表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
191/338

第百三十七段 花はさかりに、月はくまなき(5)

さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。

「見事、いとおそし。そのほどは桟敷不要なり」とて、奥なる屋にて酒飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」といふ時に、おのおの胆つぶるるやうに争ひ走りのぼりて、落ちぬべきまで簾張り出でて、押し合ひつつ、一事も見洩らさじとまぼりて、「とあり、かかり」と、物ごとに言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひておりぬ。

ただ、物をのみ見んとするなるべし。

都の人のゆゆしげなるは、睡りて、いとも見ず。

若く末々なるは、宮仕へに立ち居、人の後に候ふは、様あしくも及びかからず、わりなく見んとする人もなし。


(舞夢訳)

そのような片田舎の人が賀茂祭を見物する様子は、実に珍しいことであった。

「行列が来るのが、本当に遅い。来るまで桟敷で待つなんて意味が無い」と言って、奥の部屋で酒を飲み、物を食い、囲碁や双六で遊ぶ。

桟敷には見張りの者を置いてあって、「行列が来るようです」と言う時に、全員が大慌てで他人を押しのけてまで桟敷にのぼり、その下に落ちそうなほどに簾の後から身を乗り出す。

押し合いながら、どんな細かい事も見逃さないようにと、目を凝らし、「あれやこれや」と、何かを目にするたびに言い合う。

その行列が通り過ぎてしまえば、「また次の行列が来るまで、どうでもいい」と、おりてしまう。

要するに、彼らが見たいのは、行列という物だけなのである。

このような片田舎の人々に対して、都で暮らす人で、特にそれなりの見識を持っている人は、目をしっかりと開けることもなく、ほとんど行列などは見ない。

また、若くて、まだ身分が低い人は、主君への奉仕で大忙し。

貴人の後に仕える人は、そもそも恥ずかしくも身を乗り出すことなどできないので、無理やりに見ようとする人などは、いないのである。


「片田舎の人々」の、風情も恥も知らない振る舞いが、具体的にかかれている。

それにしても、神聖かつ伝統ある行事に対して、見たいという欲望丸出しの下品な所作の連続である。

片田舎の人々にとっては、うれしくてしかたがない憧れの賀茂祭。

ただ、そもそも風流などを解さない、祭りとあれば飲んで食って遊んで騒ぐだけの人々。

他者に対する配慮にも欠け、まさに「旅の恥はかき捨て」そのもの。

いや、そもそも「恥とか他人への迷惑」」などは、全くその意識のカケラもない。

兼好氏の落胆に満ちた叙述も、よくわかる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ