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第百三十七段 花はさかりに 月はくまなき(1)

(原文)

花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。

雨に向ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

吹きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。

歌の詞書にも、「花見にまかれけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはる事ありてまからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。

花の散り、月の傾くを慕ふならひは、さる事なれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふうめる。


(舞夢訳)

桜の花は満開の時期、月は満月のみを見るべきものなのだろうか。

雨を見ながら見えない月を恋しく思い、部屋の中から出られず春が暮れていくことを知らないでいるほうが、より深い情趣があると思うのである。

咲き始めて間もない梢や、既に萎れてしまった花びらが散り敷かれた庭にこそ、見るべき価値が多いのである。

和歌の詞書においても、「花見に出かけたけれど、既に花は散ってしまっていたので」とも、「さしさわりがあるため、花見には出かけられず」などとあるのは、「花を直接見て」というのに、劣ることなのだろうか。

花が散り、月が西に傾く風情を愛しむ思う心は、素直であると思うけれど、特に風情を理解しない人などは、「この枝もあの枝も花は散ってしまった、今となっては見る価値がない」と言うようである。



徒然草全段の中で、最高の段と言われるだけではなく、後世のわびさびの文化、村田珠光、利休の茶の湯の精神にまで強い影響を与えた名文である。


美とは、完璧だけが美なのではない。

見えない美しさを恋慕う。

それに到る前の美、萎れていく花に残る余情。


この美しさを感じた時、人の心の視界はまた広く、深くなるのではないだろうか。

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