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第百三十六段 医師篤成、故法皇の御前に

(原文)

医師篤成、故法皇の御前に候ひて、供御の参りけるに、「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草に御覧じ合はせられ侍れかし。ひとつも申しあやまり侍らじ」と申しける時しも、六条故内府参り給ひて、「有房ついでに物習ひ侍らん」とて、「まづ、しほといふ文字は、いづれの偏にか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏に候」と申したりければ、「才のほど既にあらはれにたり。いまはさばかりにて候へ。ゆかしきところなし」と申されけるに、どよみになりて、まかり出でにけり。


(舞夢訳)

医師の篤成が、故法皇の御前にお仕えしている時に、法皇の御食膳が参ったので「今お手元に参ったお食事の数々について、その名前と効能をお尋ねくだされば、私は何も見ないでお答えいたしましょう。その後で、本草学の書籍をご覧くださいませ。何一つ間違うことなく、お答えいたしましょう」と申し上げた時のことである。

たまたまその時に、今は亡き六条内府が御前に参上され、

「それではついでに、この有房も学問をしたいと思います」とおっしゃられ、

まず、「しおと言う文字は、何偏なのでしょうか」とお尋ねになられた。

医師篤茂は、「土偏であります」とお答え申し上げた。

すると内府は「あなたの学識の程度は、今の答えでよくわかりました。もはやこれで結構です。これ以上はあなたにお尋ねすることはありません」と申されたとのこと。

一同は大笑いとなり、医師篤茂は、法皇の御前から退出してしまったとのことである。


※医師篤茂:和気篤茂。生没年不詳。典薬頭。大膳大夫。

※故法皇:後宇多院。弘安10年(1287年)譲位。徳治2年(1307年)出家。

※六条故内府:源有房。元応元年(1319年)内大臣。

※しお:「塩」と「鹽」(塩の旧字体)を特定せずに掛けて尋ねた。


物知り自慢の医師篤茂を、笑い者にする内府と一座の話になる。

「塩」と「鹽」は、正字が「鹽」、「塩」が俗字とされていたらしい。


ただ、「塩」と「鹽」と比べて見ると、「塩」のほうが起源が深く、医書では「塩」を使うとのこと。


医師篤茂は、一般的な意味で素直に答えたけれど、内府と一座は「鹽」の字を篤茂が知らないと決めつけ、笑い者、恥をかかせて御前の前から追い出してしまった。


物知り自慢の篤茂も嫌われるタイプであるけれど、自分の地位を利用して程度の低い引っ掛けをして追い出す内府も、実は知識が浅く嫌なタイプ。


兼好氏は実際、どちらの立場を支持していたのだろうか、あるいは両方とも冷ややかな目で見ていたのだろうか、少し気になるけれど、研究者の見解も実に別れていて、主流もないのが現実の段となっている。

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