第百二十八段 雅房大納言は、才賢く(1)
(原文)
雅房大納言は、才賢く、よき人にて、大将にもなさばやとおぼしけるころ、院の近習なる人、「ただ今、あさましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を斬り侍りつるを、中檣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、憎くおぼしめして、日ごろの御気色もたがひ、昇進もし給はざりけり。
さばかりの人、鷹を持たれたりけるは思はずなれど、犬の足は跡なき事なり。
虚言は不便なれども、かかる事を聞かせ給ひて、憎ませ給ひける君の御心は、いと尊き事なり。
(舞夢訳)
雅房大納言は学識が深く、立派な人物であるということで、院は大将に任じようと考えておられたおり、院の近習が「たった今、ひどく無残な事を見かけました」と申されたので、院が「それは何事か」とお聞きになると、近習は「雅房卿は鷹に食べさせようとして、生きた犬の足を斬っておりましたのを、垣根の穴から見てしまったのです」と申し上げた。
院は、それを聞き、大納言をうとましく、憎く思われ、日頃のご機嫌を損して、結果として大納言の昇進も取りやめとなった。
雅房大納言ほどの人が、鷹を飼うなど意外であったけれど、犬の足についての話は根拠に欠けることであった。
そのような嘘により、昇進が取りやめとなったことは残念ではあるけれど、このような話を聞き、雅房大納言をお憎みになられた院の御心そのものについては、実に尊いことである。
※雅房大納言:土御門雅房(1262~1302)。村上源氏。
※院:雅房の大納言在任中は、亀山、後宇多、伏見、後伏見の院が在世のため、特定されていない、従って虚言をした近習も未詳。
※大将:近衛府の長官。左右に各一人。名門の子弟を任ずる。
よほど院の近習に憎まれていたのか、嘘を言われての昇進取消は、実に可哀そうなことと思う。
ただ、兼好氏はそれほど、嘘を言った近習を責めず、院の殺生をする人を嫌う院の心を褒める。
後代の読者からすると、確かに無益な殺生は良くないと思うのは、同意する。
ただ、簡単に近習の意見を信じてしまう、院の人を疑わない「ボンボンぶり」も、実に気にかかるところである。




