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第百十九段 鎌倉の海に鰹といふ魚は

(原文)

鎌倉の海に鰹といふ魚は、かの境にはさうなきものにて、このごろもてなすものなり。

それも、鎌倉の年寄りの申し侍りしは、「この魚、おのれら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。

かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。


(舞夢訳)

鎌倉の海でとれる鰹という魚は、その地方においては、最高の魚として最近は評価されている。

ただ、鎌倉の年輩者が語るところでは、「この鰹という魚は、自分たちの若い頃は、しかるべき身分の人の御膳には出されることはありませんでした。頭の部位については身分の低い人さえ食べず、切って捨てたものです」とのことであった。

このような程度の低いものでも、末世となると、身分の高い人々の社会にまで、入り込むのである。



兼好氏は鎌倉に旅した折に、鰹を知ったようだ。

ただ、日本人の鰹好きの歴史は古い。

縄文時代の遺跡からの鰹の骨の発見に続き、奈良・平安時代には朝廷に献上されており、堅魚と書かれた木簡の出現から伺い知ることが出来る。

やはり京都の身近に海がないので、海魚の知識には疎かったのか。

鎌倉の年輩者の言葉も気になる。

鎌倉生まれであれば、鰹の美味しさをわかっているはずで、そこまで鰹を貶める言葉は出ないはず。


なかなか現代人からすると、滑稽なやり取りと思う。

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