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第百十四段 今出川のおほい殿

(原文)

今出川のおほひ殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川のわたりに、水の流れたる所にて、賽王丸御牛を追ひたりければ、あがきの水、前板までささとかかりけるを、為則、御車のしりに候ひけるが、「希有の童かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」と言ひたりければ、おほひ殿、御気色悪しくなりて、「おのれ、車やらん事、賽王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」とて、御車に頭を打ち当てられにけり。

この高名の賽王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。

この太秦殿に侍りける女房の名ども、一人は、ひささち、一人は、ことつち、一人は、はふはら、一人は、おとうしとつけられけり。


(舞夢訳)

今出川の大臣殿が、嵯峨に出向かれた際に、有栖川の付近で水が流れている場所で、塞王丸が御牛を急がせようとしたところ、その牛が蹴り立てた水が、御車の前板にまで勢いよくかかってしまた。

すると、御車の後部座席に座っていた為則が

「とんでもない牛飼童だ、こんな場所で御牛を急がせるなんて」

と言うと、大臣は立腹。

「お前が車の御し方を塞王丸よりも詳しくわかっているわけでないだろうに!そんなことを言うお前のほうが、とんでもない男だ」

とおっしゃられて、為則の頭を車に打ちつけてしまった。

さて、この有名となった塞王丸は、太秦殿に仕える男で、その御用をつとめた牛飼。

この太秦殿に侍っていた女房の名は、一人は「ひささち」、一人は「ことつち」、一人は「はふはら」、一人は「おとうとし」とお付けになられた。



※今出川のおほひ殿:太政大臣西園寺公相。建長4年(1252年)太政大臣。文永4年(1267年)没。45歳。今出川の西に屋敷があった。人徳に欠け、世評の芳しからぬ人だったという。

※賽王丸:当時は有名な牛飼だった。西園寺公相の祖父公経が後嵯峨院に献上した三人の牛飼の一人。

※為則:伝未詳。御車に同乗できているので、懇意な貴族と想定される。

※太秦殿:伝未詳。太秦殿の女房たちの名前も、牛にちなむらしいけれど、これも未詳。



今出川のおほひ殿は、とにかく激怒するタイプだったようだ。

牛飼を非難することは、その牛飼を使った西園寺家への非難とでも感じたのだろうか、衝動のままに相手に暴力を振るう。

また牛車も、それを使用する貴族の身分の象徴で、そこで文句を言うことなど、まさに気に入らなかったようだ。

そもそも、超名家に生まれ、甘やかされて育ち、他者の気持ちなど、何ら考えない。

牛にちなむ名前をつけられた女房たちも、哀れ。

今出川のおほひ殿にとっては、牛のほうが、女房よりも格上。

だから、どんな名前をつけてもかまわないとでも考えたのか。


兼好氏自身は自分の思いを何ら書いていないけれど、もしかすると、特に最後の、女房の名を一人一人、「牛にちなむ名」を書いたことに、その思いを込めたのかもしれない。

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