表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
155/338

第百十ニ段 明日は遠き国に赴くべしと(1)

(原文)

明日は遠き国へ赴くべしと聞かん人に、心しづかになすべからんわざをば、人、言ひかけてんや。

にはかの大事をも営み、切に嘆く事もある人は、他の事を聞き入れず、人の愁へ・喜びをも問わず。

問はずとて、などやと恨むる人もなし。

されば、年もやうやうたけ、病にもまつはれ、況や世をも遁れたらん人、またこれに同じかるべし。


(舞夢訳)

明日には、遠い国に出向くことになっていると知っている人に対して、誰が心静かになすべきことを呼びかけたりするものだろうか。

また、突然に発生した取り込み事に、その身も心も自由がない人や、非常に嘆かわしい事が発生した人の場合は、余計な事を聞き入れる余裕もないし、他人に愁い事が発生したり、喜ぶべき事が発生しても、何も聞こうともできない。

そして、聞かれなかったとしても、そんな事を恨みに思う人などはいない。

その意味において、年齢を次第に重ね、病にもつきまとわれている人は当然、世を捨てた人も、他人と関係を持たないという点については、同じなのだと思う。



確かに大きな不安を抱えている時、突然発生した取り込み事の対応でどうにもならない時、その身辺に嘆かわしい事が発生した人に、「心静かに何々を」「私の愁いや慶事に何の音沙汰もない」と言うような人は、まずいないし、いたとすれば相当に傲慢かつ無神経な人と思う。

さて、兼好氏は、その話から老齢で病身の人に、そんな事を要求するのは「酷」と展開し、遁世人にも、それを要求するべきではないと語る。

確かに遁世人は、世間とは関係を断った人であって、俗世の人にそもそも、あれこれ指図されたり、言われるべきではない。

また、遁世人も、世間の噂などは気にせず、求道に専心すべきと語りたいのだと思う。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ