表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
152/338

第百九段 高名の木のぼりといひし

(原文)

高名の木のぼりといひしをのこ、人をおきてて、高き木にのぼせて梢を切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふ事もなくて、降るるときに軒長ばかりに成りて、「あやまちすな。心しておりよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。如何にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候。目くるめき、枝危ふきほどは、おのれが恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所になりて、必ず仕る事に候」といふ。

あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。

鞠も、難き所を蹴出して後、安く思へば、必ず落つと侍るやらん。


(舞夢訳)

木登り名人と称された男が、他人に指示して高い木に登らせ、梢を切らした時のことである。

木登り名人は、本当に危ないと見える時には何も言わず、降りてきて軒の高さぐらいになってはじめて、「失敗せんとな、気をつかっておりなはれ」と言葉をかけた。

私(兼好)は、

「あの程度の高さまで降りたのなら、飛び降りることもできるやないか、何でそんなことを言うんや」と言葉を掛けた。

すると木登り名人は、

「その事にございます、目がくらむような高い所や、枝が危なく折れそうな時には、本人が自然に気を付けるのでございます。されど、失敗や怪我は、もう大丈夫や、という場所まで来て、しでしかしてしまうものなのでございます」

と言う。

身分としては低い男ではあるけれど、その言い分は、聖人の戒めと異ならない。

蹴鞠にしても、難しい場所から上手に蹴りだしてから後に、安心してしまって、必ず失敗して地面に落ちてしまうと、聞いたようなことがある。



この木登り名人の言葉は、まさに金言。

怖い場所で神経を研ぎ澄まして動いている時に、他人から「ああでもない、こうでもない」と言われると、混乱するし邪魔でしかない。

しかし、その怖い場所を過ぎると、人はつい手抜きをしたくなる。

そして気を抜いたまま、目的到達直前で、つまらないミスをして、怪我や損害を負ってしまうし、自分自身のウカツさにも、後悔しきりとなる。


危ない時は当然神経を使うけれど、最後まで気を抜いてはならない。

これは、どんな仕事をする場合でも、意識すべき必須の言葉と思う。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ