第百八段 寸陰惜しむ人なし(2)
(原文)
刹那覚えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期、忽ちに至る。
されば、道人は、遠く日月を惜しむべからず。
ただ今の一念、むなしく過ぐる事を惜しむべし。
もし人来りて、我が命、明日は必ず失はるべしと告げ知らせたらんに、今日の暮るるあひだ、何事をか頼み、何事をか営まん、我等が生ける今日の日、なんぞその時節にことならん。
(舞夢訳)
刹那という短い時間など感じることができないと言っても、その短い時間が続いていけば、命の終わりは、たちまちに訪れるのである。
その意味において、仏道を志す人は、漠然と遠い月日のことを惜しむべきではない。
今、この時において、無為に時間を過ごすことを、惜しむべきである。
仮に、人が来て、自分の命が明日には必ず失われると告知されたなら、今日が暮れるまで、何に期待し、何をするだろうか。
そして、私たちが生きる今日と言う日は、全くその日と、本質的に変わることはないのである。
今、この時を、心をこめて生きる。
これも、一期一会に通じる。
なかなか、難しい、人には怠け心があるのだから。
ただ、あまり厳しく考えすぎるべきではない。
要するに、その時その時に、自分ができることを丁寧に、心をこめてやればいい。
あくまでも、出来る範囲、無理する必要など、何も無い。




