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第九十七段 その物に付きて

(原文)

その物に付きて、その物を費しそこなふ物、数を知らずあり。

身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり。


(舞夢訳)

その物に取りつき、その物を弱らせ害を与える物は、世に数知れないほどにある。

身体には、シラミがあり、家には鼠がある。

国には賊があり、程度の低い人間には財産がある。

君子には仁義があり、僧侶には仏法がある。



兼好氏の強烈な批判意識を書き連ねた段になる。

身体にシラミは、衛生環境が整っていなかった時代なのだろうか、あまり現代では想定できない。

家の鼠も、最近は全く見かけないけれど、地方の古い農家では、残っているのだろうか。

国に対する賊は、最近の表現で言うならば反社会的勢力なのだろうか。

この勢力も、どんな時代でもあり、確かに国や国民を弱らせ、犠牲者をもたらす。

程度の低い人間に集まる財産は、よくわかる。

かつてバブル期には、にわか成金が札束で他人の顔を叩く、よりひどいのは、それを寒さに震えるホームレスの前で燃やして高笑い、そんなこともあったようだ。


さて、意外なものが、君主の仁義。

この発想は、「荘子」から。

仁義などは人間性の自然に反する、それだから、仁義にとらわれることは人間を損なうということらしい。

国民に対し、あまり道徳や節度を要求しすぎると、やがて反感から反乱を招くということだろうか。

そこで浮かんだのが、サヴォナローラの乱。

中世フィレンツェで、メディチ家の独裁政治やローマ教皇の腐敗、ルネサンスの華美で軽薄な風潮に反発し、厳格な信仰に戻るべきであると考えるようになり、教会の説教を通じて民衆を煽ったサヴォナローラという聖職者がいた。

そして、イタリア戦争に乗じて、フランス王シャルル8世がフィレンツェに入城してメディチ家を追放すると1492年から1498年まで実権を握って、「虚飾の焚刑」と称して美術作品や焼き払うなど厳しい神政政治を行った。

しかし厳しすぎる神政政治は、最後は民衆の支持を失い、対立していた教皇アレクサンデル6世によって異端判定、破門され、彼自身が焚刑に処せられた。



最後の僧侶を損なう仏法も面白い。

仏法自体は、確かに価値があるけれど、それにこだわりすぎるのも執着であり煩悩でしかない。

経の文面の一字一字に拘泥し、人間らしさを失い、他人のささいな誤りを許すことができない。

かくして人を救うべき尊い仏法は、他人を責め、やがては自分を含めて絶望の地獄に堕とすためのものに、なりさがる。

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