第九十一段 赤舌日といふ事(1)
(原文)
赤舌日といふ事、陰陽道には沙汰なき事なり。
昔の人これを忌まず。
このごろ、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、「この日ある事、末とほらず」と言ひて、その日言ひたりしこと、したりしこと、かなはず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事ならずと言う、愚かなり。
吉日をえらびてなしたるわざの、末とほらぬを数へて見んも、又等しかるべし。
(舞夢訳)
赤舌日ということがあるけれど、陰陽道においては問題とされていない。
昔の人は、この日を忌むことはなかった。
最近になって、誰かが言い始めて忌むことになったのか、
「この日にあることは無事には終わらない」と言い、その日に言ったり行ったりしたことは成就せず、獲得した物は失い、つまり企画したことは成功しないと言うとのことで、実に愚かなことと思う。
そもそも吉日を選び、行ったことの中から、無事に終わらなかったことの例を数えてみれば、赤舌日における失敗と同じくらいなのである。
※赤舌日:凶日の一つ。太歳神(木星)の西門を守護する赤舌神が、配下の六大鬼に一日交替で守らせるうち、その第三の最も凶悪な羅刹鬼が当番となる日を忌み、このように呼ぶ、鎌倉末期以降の俗信とされる。
兼好氏は、
失敗を根拠に欠ける忌日の責任にするなど、全く理屈が通らない。
吉日にも、同じ程度の失敗があるではないか。
と、忌日に振り回される人々を、冷静かつ厳しく批判する。
確かに、その通りであるけれど、そんな俗信やら占いに振り回されてしまう人々もまた、今の世にも数多く存在する。
要するに運を頼み、努力を厭う人間の本性に起因するのかもしれない。




