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第八十六段 惟継権中納言は

(原文)

惟継中納言は、風月の才に富める人なり。

一生精進にして、読経うちして、寺法師の円伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺焼かれし時、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申しつれど、寺はなければ、今よりは法師とこそ申さめ」と言はれけり。

いみじき秀句なりけり。


(舞夢訳)

惟継中納言は、詩歌や文章の才能が豊かな人である。

終生、精進に励み、読経をして、寺法師の円伊僧正と同じ寺に住み、同じ師匠から教えを受けていた。

文保年間に、三井寺が焼き討ちにあった際に、寺の坊主である円伊に対して、

「今までは、あなたを寺法師と申して来たけれど、すでに寺は焼かれてしまった」

「これからは、あなたのことを法師とだけ申しましょう」

とおっしゃられた。

何とも、実に面白いことを言ったものである。


※惟継中納言:平惟継。元徳2年(1330)2月から3月にかけて権中納言。後に文章博士。

※寺法師:園城寺(三井寺)の僧侶。比叡山延暦寺(山門)は山法師。園城寺と延暦寺は、同じ天台宗ながら対立、抗争を繰り返す関係だった。

※円伊僧正:権僧正。権中納言鷹司伊平の孫。一遍聖絵の作者。

※同宿:寺や僧房をともにし、同じ師匠から教えを受けること。

※文保年間の三井寺の火事:文保3年4月25日、延暦寺の僧徒により、三井寺が焼き討ちに遭った。



敵対する延暦寺の僧徒に焼き討ちされ、落胆している円伊僧正に対して、「寺がなくなったのだから、法師だけでいいでしょう」と、冗談のような憎まれ口のような言葉をかける。

そんな言葉をかけられた円伊僧正は、呆れるやら笑ってしまうやらだったのではないだろうか。

そんな冗談が言える関係というのも、また素晴らしい。


また、確かに「寺」などなくても、法師は法師に過ぎない。

御仏の教えに、寺の有無は関係が無いのだから。


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