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第八十段 人ごとに、我が身にうとき事(1)

(原文)

人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。

法師は兵の道を立て、夷は弓ひく術知らず、仏法知りたる気色し、連歌し、管弦を嗜みあへり。

されど、おろかなるおのれが道よりは、なほ人に思ひ侮られぬべし。



(舞夢訳)

だれもかれも、その身分とは関係が薄いことばかりを好んでいる。

法師が武芸に熱心になり、東国の武士が弓を引く技術を知らずに、仏法を理解しているような雰囲気をだし、連歌や管弦の道までたしなんでいる。

しかし、そんなことをする彼らは、習熟していない彼らの専門分野以上に、中途半端な余芸によって、より他人から軽蔑されてしまうことは間違いが無い。


※夷:東国の武士。野蛮人の意味もある。


本業の習熟をおろそかにして、余芸に熱中し、熱中した余芸も中途半端。

ワイドショーで見かける中途半端なお笑い芸人を思い浮かべた。

高座でひとり落語を語らせると、つまらなくて仕方がない。

テレビ局の「演出」に従って、コメントを出すだけ。

聞こえてくる笑い声も、実はテレビ局の「演出ヤラセ」、実態は録音された「効果音」であることが、ほとんど。

とにかく磨き上げられた本物の芸がないので、捨てられるのも簡単。

自業自得といえばそうなるけれど、そんな彼らには哀れを感じてしまう。

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