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想造世界  作者: 篤
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戦線の表裏

 荒野の側面に天を衝く砂塵を巻き上げて突入した綺蓮隊の苛烈極まる猛攻により、崩壊寸前の瀬戸際に立たされていた熾炎隊の防衛線は、辛うじて息を吹き返していた。

 先陣を駆けるブレイルの物質変換が大地を滑らかな突撃路へと変え、カルクの重力操作が敵の足腰を砕き、ユンの時間遅延が反撃の機先を制し、リンフィアの精密な分析が敵陣の急所を的確に穿つ。

 その鮮やかな連動攻撃によって、それまで無敵の圧力を誇っていたジエスタ軍の側腹部は大きく裂け、怒号と混乱の渦へと叩き落とされていた。

 各翼で死闘を演じていたアーヴィル、スレイ、ユイン、そして後方で《重水》を乱射して踏み止まっていたリノルたちも、この劇的な横槍によって死線から引き戻された。

 シャスプ平原の絶望的な戦況は、奇跡的な均衡を取り戻しつつあった。

 だが――その都合が良すぎる奇跡的な援軍の到来こそが、冷酷に仕組まれた悪意の産物に他ならなかった。






***









 遡ること、かつてのスロイデル城における死闘の最中。

 硝煙と土煙が視界を奪い、グレイスの絶対防御によって放たれた一斉掃射が霧散した、あの極限の混沌の狭間――。

 メレーシェルが密かに放った微細な幻術の種子は、誰にも悟られることなく、ブレイルの意識の深淵へと深く、深く根を下ろしていたのだ。

 それは即座に肉体を乗っ取るような粗雑な術式ではない。

 本人の思考や感情の底に潜み、あたかも「自分自身の自由意志による崇高な決断」であるかのように錯覚させながら、特定の衝動だけを異常なまでに肥大化させる、狡猾極まる精神の寄生体。

 ブレイル自身は、己の熱き正義感と戦友への義理立て、自らの確固たる意志によって部隊を動かしていると信じ込んで疑っていなかった。

 しかしその実態は、メレーシェルの幻術によって無意識の焦燥と直感を巧妙に誘導されたものである。

 国家が下した国防の勅命を独断で破棄してまで、異様な速度と執念でこのシャスプ平原へと軍を疾走させられていたのだ。

 すべては、この戦場において熾炎隊が全滅の危機に瀕したまさにその瞬間、「都合の良すぎる援軍」として絶妙なタイミングで飛び込ませるための、狂気的な下準備に過ぎなかった。


 血飛沫が飛び交い、幾千の兵士たちが命を削り合う激突の怒号が吹き荒れる戦場。

 それを遥か遠方、平原を一望できる空間の狭間から、冷然と見下ろす二つの影があった。


 露出の多い衣服の上から羽織った薄手のコートを纏った、気怠げな色香を漂わせている妖艶な美女――『再厄』の一角、『夢魔』メレーシェル。

 手元で弄ぶ煙管から甘く痺れるような紫煙を燻らせ、退屈そうに睫毛を伏せている。

 そしてその隣で、風に青紫の双眸を妖しく輝かせ、薄い唇に冷徹かつ甘美な笑みを張りつかせている男――タシュア。

 地獄の如き殺戮の絵図を前にしながら、彼の佇まいはまるで特等席から極上の舞台劇を鑑賞しているかのように優雅で、常軌を逸した余裕に満ちていた。


「タシュア、これでいいの?」


 メレーシェルが艶やかな唇からふぅと紫煙を虚空へと吐き出し、気のない声音で問いかけた。

 その口調には、他国の一軍を騙し、友軍の精神を玩弄して戦場の命運を狂わせたことに対する罪悪感など、爪の先ほども感じられない。

 まるで友人に頼まれた他愛のない買い物を済ませてきたかのような、無機質な気安さであった。


「ああ、これでいいよ。ありがとう。これで面白くなってきた」


 タシュアは満足そうに細い目をさらに細め、眼下で繰り広げられる泥沼の混戦を、心底愛おしそうに見つめていた。

 ジエスタの怨嗟、バルアの凶暴な略奪欲、そして窮地を脱して必死に抗うサキルたちの熱量。

 その全てが複雑に絡み合い、盤面が混沌の色を深めていく様が、彼にとっては堪らない悦楽なのだ。

 その歪んだ横顔を横目に、メレーシェルは呆れたように豊満な肩をすくめ、からかい混じりの吐息を零した。


「まぁ確かにこんな風なことを今まで多くしてきたけどねぇ……それでも今回は凝り過ぎじゃない? そのサキルって子、確かに一回見たことあるから面白そうな子なのはわかるけど、タシュアがそこまでお熱になるとはねぇ……」


「お熱、かい? ふふ、人聞きが悪いな」


 タシュアは小さく喉の奥を鳴らして嗤うと、手袋に包まれた細い指先を虚空へ翳した。

 まるで、眼下の戦場に張り巡らされた見えない操り人形の糸を、一本一本指先で弾いて音色を確かめるかのように、戯れに優雅に躍らせる。


「彼は僕が丹精込めて仕込んできた、世界でたった一つの最高傑作なんだよ。簡単に壊されてしまっては困るし、かといって退屈な勝利で終わってもつまらない。絶望の底で足掻き、理不尽に抗い、怒りと復讐を骨の髄まで煮詰めて……そうやって極限まで磨き抜かれてこそ、彼の内に眠る本当の『力』が美しく開花するのさ。あの粗野なバルアに横から丸ごと奪わせるわけにもいかないしね」


「相変わらず悪趣味ねぇ。ま、私は大戦の前の退屈しのぎになれば何だっていいけれど」


 メレーシェルは妖しく微笑み、再び気怠そうに紫煙を吐き出した。

  二人の怪物が交わす冷酷な会話の、遥か下。

 砂煙が荒野を包むシャスプ平原では、泥沼の死闘が続いていた。

 命がけの奮闘も、友軍との熱き絆もすべては、悪魔の手のひらの上で転がされる脚本のワンシーンに過ぎなかった。

 その事実を知る由もない。

 サキルとブレイルたちは、死力を尽くして泥と血の戦場を駆け抜けていた。





***



  『綺蓮隊』の電撃的かつ計算し尽くされた突入によって、一度は完全に崩壊しかけていた熾炎隊の前線は、奇跡的なまでの粘りを見せて息を吹き返していた。

 その結果、ジエスタ軍八千の側腹部は大きく裂かれ、戦況の天秤は五分、いやそれ以上にまで力ずくで引き戻されつつある。


 だが――それでもなお、この荒野を覆う破滅の濃霧が晴れたわけでは断じてなかった。

 背後から地鳴りのような足音を轟かせて迫り来る、『破滅者』バルアと彼が率いる八千の軍勢。

 アルグア兵五千を含むその大部隊が、もし前線のジエスタ軍と完全に合流してしまえば、取り戻しかけた均衡など一瞬にして砂上の楼閣の如く吹き飛ぶ。

 四千五百の熾炎隊と急行してきた綺蓮隊は、今度こそ完全に逃げ場を失い、一万六千の濁流の底へと圧殺されることは火を見るより明らかだった。


 何より戦場において最も恐るべき脅威は、兵数そのもの以上に「バルア」という個の怪物性にあった。

 かつて国境警備で武名を轟かせた剛勇ガルバス将軍を、その誇る岩石装甲ごと素手で受け止め、肉体も骨も血の一滴に至るまで跡形もなく溶かして捕食した男。

 他者の能力を喰らい尽くし、物理的な衝撃すら霧散させる絶対的な暴威――彼という個であった。

 それが前線へと雪崩れ込んで暴れ回るだけで、いかに精妙な陣形であろうと、理不尽極まりない蹂躙の前に塵芥へと変えられてしまう。

 そして、己の凶暴な武勇を誇示し、常に他人の獲物を力ずくで強奪することに執着する性格を考えれば、先陣を切って最前線へ突進し、サキルめがけて一直線に暴れ回るのが道理のはずだった。


 ――しかしその実、バルアは前進する自軍の最後方に、腕を組んで悠然と立ち止まっていた。


 吹き抜ける熱風に、短く刈りそろえられた赤黒い血の如き色の髪を微かに靡かせ、血錆の浮いた無骨な大剣を地面に突き立てたまま。

 獅子を連想させる鋭く凶暴な肉食獣の双眸が、背後に広がる荒涼とした岩山の裂け目へと、冷徹に据えられていた。


「てめえら、俺を殺りたいなら正面から来やがれ」


 地鳴りのように低く濁った声が、荒野の岩肌に反響する。

 バルアが前線へ突っ込まず、軍の殿に留まっていた理由――それは、自らの背後を執拗に付け狙い、息を潜めていた「極めて危険な二つの殺気」を、その獣じみた本能で寸分の狂いもなく感知していたからに他ならなかった。


「確かに……奇襲を読まれてるんなら、むしろ出てきて正面からやった方が良いよな」


 切り立った岩山の濃密な影を割り、砂煙を踏みしめて一人の男が姿を現した。

 百九十センチを優に超える圧倒的な巨躯。

 顔中から首筋にかけて無数の刀傷と凄惨な火傷痕を刻み込み、特に右目の周りが痛々しく焼け爛れた異形の偉丈夫――アーズ。

 無傷の左眼には爛々とした鋭利な光が宿り、ただ一歩を踏み出すだけで周囲の空気を圧迫するような、数多の修羅場を越えてきた歴戦の重圧を放っている。


「やはり一筋縄ではいかない……厄介」


 続いて、まるで大気そのものと同化していた空間の死角から、音もなく虚空を滑るようにして小柄な影が降り立った。

 深く被ったフードの隙間から覗くのは、灰色の艶やかな髪と同色の冷徹極まる双眸、そして透き通るような白い肌――フィルミア。

 一切の体温や気配を削ぎ落とし、そこに立っていることすら錯覚させるほどの極限の隠密性を纏うその佇まいは、正に神速の暗殺者そのものであった。


 極限まで気配を遮断し、影に紛れてバルアの喉首を刈るタイミングを計っていた『名もなき者達』の二大頂点が、ついにその姿を白日の下に晒したのだ。


「あんたの性格ならば、俺らのことなんかお構いなしに戦の前線で暴れ回ると思ったがな」


 アーズが肩を竦め、豪快に口元を吊り上げてみせる。

 かつてサキルに「自分の術は隠し、相手の術は暴け」と叩き込んだ男らしく、その左眼はバルアの重心の揺らぎ、筋肉の弛緩、そして大剣の間合いを寸分の狂いもなく測り、冷徹に観察していた。

 対するバルアは、鼻を鳴らして足元の土へ唾を吐き捨てる。


「何言ってんだてめえ? もし俺が前に出たら、てめえらが後ろで好き勝手やるだろうよ。そんな興醒めなことをされるくらいなら、先にここで潰すだろ。……っていうか、なんだお前? てめえを俺は初めて見たが、なんでてめえは俺と昔から会ったことがある風な口を利いてやがる?」


「覚えてねえだろうが、俺とあんたは対峙したことがあるんだよ――最も、俺がまだクソガキの頃の話だけどな。情報でもその存在は把握していたが、それ以上にこうして目の前にしたら嫌でもわかる。……あんたは不老か、それとも不老不死なのか?」


 アーズの声には、長年の疑念を裏付ける確信めいた冷たい響きがあった。

 自分が少年兵として地獄のような死線を彷徨っていた遥か昔から、何一つ変わらぬ凶悪な容貌、何一つ衰えぬ禍々しい気配だ。

 数十年という歳月を生きる人間として、絶対にあり得ない不変の肉体と勘繰るのが当然だろう。

 バルアは怪訝そうに片眉を跳ね上げた。


「ああん? 俺と昔会ったことがあるんなら、なんでてめえは生きてここに突っ立ってやがる?」


「ああ、まぁ実際、あの時は死にかけたがな。……色んなものを見捨てて、自分だけが泥水を啜って生き残っただけのことさ」


 自嘲気味に呟くアーズの言葉には、生き残るために感情を殺し、あらゆる犠牲を払ってきた裏部隊の男の冷徹な覚悟が滲んでいた。


「そうかよ……まぁ、その時の殺す価値もなさそうな腰抜け野郎の面なんざ、いちいち覚えてねえな。ただ、それなら話は簡単だ。今度こそきっちり殺してやるよ――確かゼルグ裏部隊の最強、アーズと言ったか。それと、さっきから一言も喋らずに、僅かでも隙を見せれば即座に首を撥ねようと殺気を研ぎ澄ませているそっちのフードの女の方は、フィルミアと言ったっけか?」


 バルアが血色の双眸をギラつかせ、二人の名を獰猛に舌の上で転がした。

 その瞬間――沈黙を保っていたフィルミアの全身から、凍てつくような悪寒が爆発的に噴き上がった。


「……こいつより、私が強い――殺す」


 感情の一切を削ぎ落とした、平坦でありながら絶対の殺意を宿した氷の呟き。

 アーズの放つ重厚な威圧感を軽々と塗り潰し、フィルミアの纏う殺気はさらに研ぎ澄まされ、濃密な純度へと跳ね上がっていく。

 並の兵士であれば、その冷え切った視線に晒されただけで心臓を直接握り潰された錯覚に陥り、呼吸を忘れて泡を吹いて卒倒しかねないほどの鋭利な死の予兆だ。

 しかし――目の前に立つ『破滅者』は、その戦慄すべき殺気を受け止めながら、怯むどころか耳元まで裂けんばかりに口元を吊り上げ、凶暴極まりない哄笑を轟かせた。


「はっ、やってみろよ? ああ、それと俺が不老だか不老不死だとか抜かしてやがったな――なら、てめえらのその手でそれも試してみろよ! もっとも……てめえら如きの刃じゃ、この俺に傷一つつけることもできねぇだろうがなァ!!」


  咆哮と共に、バルアの大地を踏み抜く一歩が炸裂した。

 ズドォォンッ、と足元の頑強な岩盤が粉微塵に爆砕し、強烈な衝撃波が周囲の土煙を円状に吹き飛ばす。

 血錆の浮いた大剣を片手に担ぎ、漆黒の破壊の気脈を全身から噴き上がらせた赤黒い巨躯が、音速を置き去りにする暴風の如き速度で、アーズとフィルミアの眼前へと肉薄した。


 ――だが、その刹那。


 踏み込んだバルアの周囲、死角となる荒野の岩陰、土煙の中、そして頭上の岩壁の裂け目から、十を超える「無音の殺意」が一斉に解き放たれた。


 姿を現したのは、アーズとフィルミアだけではなかったのだ。

 ゼルグの暗部において数多の要人暗殺と汚れ仕事を完遂してきた『名もなき者達(ネレネス)』の精鋭部隊。気配を完全に遮断し、息を殺して息の根を止める機会を窺っていた黒装束の暗殺者たちが、寸分の狂いもない連携でバルアの急所へと殺到した。


 左右からは、創力を極限まで圧縮した不可視の投擲刃と、大気を切り裂く毒針の豪雨。

 背後からは、音もなく地表を滑るように間合いを詰めた二名の暗殺者が、腱を断つべく足元へ向けて鉤爪を振り抜く。

 さらに頭上からは、太陽の光を背にして急降下した手練れが、頸動脈と延髄を同時に穿つ必殺の短剣を突き立てようとしていた。


 個の力で敵わぬならば、情報と死角を突き、数と連携で確実に仕留める――まさにネレネスの教えを極限まで研ぎ澄ませた、脱出不可能な完全包囲の暗殺陣。

 しかし――死角を埋め尽くす刃の嵐を前にしながら、バルアの獰猛な血色の双眸に浮かんだのは、焦りでも警戒でもなかった。

 耳元まで裂けんばかりに吊り上がった口元から、腹の底を震わせるような凶暴な哄笑が爆発する。


「ケケッ……! 湧いて出てきやがったなァ、ネズミどもがよォ!!」


 バルアは避けることすら、大剣で受けることすらしなかった。

 男の喉の奥から放たれた獣の如き咆哮と共に、その肉体から全方位へと爆散したのは、空間そのものを震打する漆黒の「破壊の波動」だった。


 ドッガァァァァンッ!!


 大気を激震させ、暴風となって吹き荒れたその破壊の力場。

 降り注いでいた無数の毒針や不可視の投擲刃は、バルアの肉体に届くどころか、その波動の暴風に真っ向から衝突した瞬間、火花すら散らす間もなく木っ端微塵に粉砕され、四方八方へと吹き飛ばされた。

 それだけではない。死角から肉薄していた暗殺者たちまでもが、放たれた衝撃の余波を浴び、まるで巨大な鎚で殴りつけられたかのように身体をくの字に折り曲げて宙へと激しく吹き飛ばされていく。


「まとめて吹き飛びやがれッ! 俺の腹の足しになりたい奴から前に出なァ!!」


 飛び交う暗殺者たちの血煙を浴びながら、バルアの大剣が獰猛な軌道を描いて荒野を薙ぎ払う。

 アーズとフィルミアが鋭く踏み込むのと同時に、精鋭たちの必殺の奇襲すら力ずくでねじ伏せた絶対的な怪物の蹂躙が、最悪の轟音と共に幕を開けた。



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