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想造世界  作者: 篤
43/54

闇に蠢く影達

 とあるアンティークな趣のバーカウンターに、全身をローブで覆い、深くフードを被った二つの怪しい人影が静かに座っていた。


 店内は暗澹たる静寂に包まれ、光源は壁やカウンターの各所に配されたランプの柔らかな光のみ。

 その薄明かりが、古びた木材のカウンターや背後の棚に並んだ年代物の酒瓶に、深い陰影を落としていた。


 最大で十四人ほどは収容できそうな広さを持つこの小洒落た空間には、カウンター席のほかに二つのテーブル席も備え付けられていたが、今この瞬間、そこにいるのはこの二人の異様な客のみ。

 店員の姿すら見当たらない、不自然なほどの静けさが支配していた。


 内一人は豊満な胸元を強調し、すらりと伸びる美脚が膝下まで露わになっている蠱惑的な女だ。

 薄暗い店内でも、その艶やかな肢体は目を引く存在感を放っていた。

 もう一人はマントに全身を包み込んではいるが、体格も身長も男性の平均よりも少し上程度の男である。

 容貌はマントに隠されていて判然としなかったが、その中にあっても肉食獣を連想させるギラついた鋭い瞳が特徴的だった。

 まるで獲物を狙う捕食者のような、危険な光を宿している。


 そんな不自然なほど静かな店内で、男女はそれぞれの前にあるコーヒーのカップを口元に少し含んでは、コースターに戻してを繰り返していた。

 そのわずかな音だけが、重い沈黙を破る唯一の響きとなっていた。

 まるで何かの合図を待っているかのような、どこか落ち着かない雰囲気が漂っている。


 不意に女が、その静寂を破った。誘惑的な、聞く者を惹き付ける甘い声で右隣に座る男に話しかける。


「ねーえ〜、あなた?私の愛しきミリはまだなの?」


 男は露骨に眉をしかめ、心底嫌そうな目を向けた。その視線には、彼女への根深い嫌悪と抑えきれない苛立ちが滲んでいる。


「知らねーよ!そしてうるせえ、今は俺達以外誰もいねえだろ。俺をあなたとか気持ちわりい声で呼ぶなクソ淫乱女!」


 心底嫌そうな目を向け、乱暴な声音と言葉で返す。その声には、彼女の演技めいた態度への嫌悪感が露骨に表れていた。


 しかし女はそれをサラリと受け流し、今度はややからかい口調の甘い声を垂れ流した。

 まるで男の反応を楽しんでいるかのような、計算された演技で。


「え〜、そんな人の目があるからって切り替えてたりしたらさぁ〜、いざという時に素が出ちゃうでしょう?だ・か・ら今も設定通りに呼ぶべきじゃない?ダーリン☆」


 女が悪ノリといった感じで正論を交えつつ、コケティッシュな流し目を向けて、言葉の最後にウインクするのも忘れない。

 男を誘惑しているというよりも、完全にからかっている。その態度は、まるで面白い玩具を見つけた子供のようだった。


「うぜえ、てめえがそんな胸くそ悪い声をかけてくる度に俺はイライラして仕方ねえんだよ!こんな俺達以外誰もいないところくれえ素のてめえでいやがれ!正直、素のてめえも気持ち悪いが、その気持ち悪い設定のてめえよりは幾分マシなんだよ!」


 並み大抵の男なら簡単にこれで落ちてしまいそうだが、彼は全く心を揺らさずに怒鳴り返した。

 その声は店内に響き渡り、静寂を破る唯一の音となった。


「だからぁ〜、そんな人の目」


「うぜえ、おちょくるのも大概にしやがれ。ていうかくっついてくるな!いい加減ぶっ殺すぞ!」


 それでも女は敢えて繰り返し、男の左手に両手を絡めようとする。

 これも並みの男なら籠絡されてしまうだろうが、男は女の手を振り払い次は右拳を握りしめ殺意を込めて怒鳴り散らす。

 その拳は震えており、彼の怒りがいかに深いかを物語っていた。


「くすくす、やっぱあんた反応面白いわぁ〜」


 だがそれも先程と同じく華麗に受け流された。いやそれどころか笑われ、からかう材料とされてしまう。

 女がからかい、男が青筋をたてるというどこかの裏部隊のトップ二人とは正反対の構図だ。

 いい加減頭に血が上っていた男が、女をぶん殴ろうと右拳を向けた時だった。


 カランカランギィィィバタン


 扉に備え付けられた来客を告げる金棒かなぼうが甲高い音を立て、重厚な扉が軋むような音を響かせながら開閉される。

 そうして店に入ってきたのは先程まで生産性の欠片もない会話をしていた男女とほとんど同じ格好をした二人の男女だった。


 いや格好だけではない。入ってきた男はともかく、女の方は豊満な胸元とすらりと伸びた美脚を持つ、妖艶な身体つきも同じだった。

 入ってきた女と元から店にいた女で唯一違うのは背が一〜ニセンチほど元から店にいた女の方が高いというくらいだろう。

 まるで鏡に映したかのような類似性に、何か超自然的な関係性を感じさせる。


 一方店に入ってきた男の方は特段の特徴はなく、平均的な男性の体格といったところか。


 その二人が入ってきたのを見て店にいた男は振り上げた右拳を慌てて懐に隠す。

 だが男女二人が入ってきたのは男から見て左側の方からであり、ちょうど隠した右拳が一目で見える位置だった。

 慌てた動作が、かえって彼の意図を露呈させてしまう。


「やれやれバルアさん。あなたは本当にこらしょうのない人ですね」


 新たに入ってきた男の声は、静謐さを湛えた知的な響きを持っていた。

 呆れたような、しかしどこか諦めを含んだ調子でバルアと呼ばれた男に声をかける。


「私の愛しきお姉様に何晒してるんですか!この追剝おいはぎ野郎!」


 一方、女の方は汚物を見るような鋭い目でバルアを睨みつけながら、人差し指を向けて容赦ない罵声を浴びせた。


 故に慌てて隠した甲斐もなく、入ってきた二人はそれぞれ程度の差はあれ男に否定的なリアクションをとる。

 男には呆れた言葉をかけられ、女には汚物を見る様な目で人差し指を向けられながら罵声を浴びせられた。


「う、うるせえ!こいつがあまりにもうぜえことばっか言ってくるから少し黙らせてやろうとしただけだ!」


 店に入ってきた二人に唐突に繰り出された言葉の雨に、バルアと呼ばれた男は一瞬怯んだが、すぐに開き直って言い返す。

 その声には言い訳がましさと、まだ燻る怒りが混じり合っていた。


「ふぅやれやれ」


 だが店に入ってきた青年の様な容貌の男は肩を竦めただけだった。

 そして店内に入ってきた男女がフードをとってその容貌が明らかになる。


 男は静謐をたたえた……といった表現が驚くほど似合う、本を読んでいればとても良い絵になりそうな知的な雰囲気の青年だ。

 否、青年のような容貌、といった方が正しいかもしれない。

 そう思わせるほどには声音も物腰が柔らかいもので、知的な印象を強くする。

 その湖面のように澄んだ碧眼は、深い思慮と冷静さを物語っていた。


 一方の女は淡いピンク色の桜の様に小さく可憐な唇にセミロングの黒に少々青を混ぜた色の艶髪をもつ、ぱっちりとした大きな目が特徴的な端正な顔立ちの女だった。

 その妖艶というよりはこざっぱりとした顔立ち故に豊満な肉体を持っていても、誘惑的な香りを放つ花が咲く前段階の咲きかけの蕾といった印象である。

 その美しさには、まだ秘められた可能性が内包されているようだった。


 彼女が最初にとった行動は店内に座る女に近付いて左手を両手で絡め取り、バルアと呼ばれた男から一席距離を置いた席に移動させることだった。

 それからお姉様と呼んだ女に抱きついて憂慮と親愛を綯交ないまぜにした熱っぽい視線を向け、


「ああ、可哀想なお姉様!こんな乱暴者と一緒にされるだけでも腹立たしいのに、あまつさえ夫婦の設定まで押し付けられるなんて!お姉様にもしものことがあったらと思えば私は気が気でなりませんわ!」


 その声には、心からの心配と怒りが込められていた。


 座っていた女も店に入ってきた二人同様に目深に被ったフードをとる。

 彼女の顔立ちもまた整っており、豊満な肉体と半ばまでしか開いていない眠たげな瞳から妖艶とした人ならざる夢魔サキュバスの様な印象を与えていた。

 こざっぱりとした顔付きで誘惑的な香りを放つ花になる前の蕾の様な印象の傍らの女と顔付きは一目で双子だとわかるほどそっくりである。

 だが蕾のような印象を受ける女と対照的に、妖艶で誘惑的な香りを放つ花の様な強烈な色香を醸し出していた。

 既に満開の花のような、圧倒的な存在感を放っている。


 姉とよばれた女は心配そうに自分を見つめ左手を尚も両手で絡めている妹に、少々わざとらしく深刻そうに睫毛を伏せ、


「……大丈夫よ、我が愛しきミリ。確かに襲われかけたりして、耐えがたい屈辱もあったけれど、私はこうして何一つ奪われることなく無事だわ。神様に感謝したいくらいよ」


 その言葉には、わざとらしい演技の響きが含まれていた。


「おい、てめえぇぇぇ!何嘘っぱち言ってんだ!さっきまで気持ち悪い声で俺をイラつかせてその反応を楽しんでただろーが!」


 そこへ間髪入れず二人の女に距離を取られたバルアの怒鳴り声が飛んでくる。

 その声は店内に響き渡り、彼の不満と怒りを露わにした。


「つい先程、あなたがメレーシェルさんに拳を振り上げようとしていたじゃないですか……。まぁ、あなたの言い分が正しいことはなんとなくですけどわかりますよ。けれど、堪えることもできずお馬鹿なことをしようとしたので私も弁護できません」


「何言ってんのフォーユ!追剥ぎ野郎が今さっきお姉様に向けて拳を握っていたのは紛れもない事実じゃない!お姉様に手を上げようとしただけで万死に値するというのに、それだけでは飽きたらず、その事実を隠蔽しにかかるとは!命令がなければ殺してくれと言わせるほど痛めつけてから殺してやるのに……」


 しかしまたしても呆れ声と罵声を浴びせられる。唯一先程と違うのはフォーユと呼ばれた男の瞳に同情の色が混じっていることだろうか。

 それは、バルアのどうしようもない性分に対する、諦めにも似た感情の表れだった。


「いやいやさっきからその淫乱女が肩を震わせて笑いを堪えているのを見れば俺が嵌められたことくらいわかるだろ!」


「はぁ〜、無事にまたミリに逢えたのはいいけれど、危なく襲われて汚されるところだったわぁ〜」


 それでもバルアはメレーシェルと呼ばれた女を指差して怒鳴り返すが、彼女はどこ吹く何とやらといった感じに物憂げに息を吐き出す。

 その表情は、まるで彼の言葉が耳に届いていないかのように、どこか遠くを見ているようだった。


 また一際強く怒鳴り、身体を揺らしたことによってその短気な男のフードも取れる。


 短髪に刈りそろえた赤黒い血の如き色の髪に同色の瞳。その内には獅子を連想させる鋭く乱暴的な光を宿していた。

 正に粗野で乱暴的といった表現を体現しているが如き男である。

 彼の「バルア」という名の響きも、その獰猛な容貌と性格にお似合いだった。


 そのバルアとメレーシェルのやり取りを見て、再び「やれやれ」と両手を広げて、フォーユは肩を竦めた。

 一方のミリと呼ばれた女はバルアの言い分を無視して彼を射殺さんばかりに睨みつける。


 カランカランギィィィバタン


 また生産性のない会話が繰り返されようとしていたが、それは再び甲高い音を立てた金棒と同時に開閉する扉の音によって中断された。

 更に遅れてフードを被った怪しい人物が二人店に入ってきたからである。


彼らは店内に入ってすぐにフードをとった。


一人目はずんぐりむっくりとした熊の如き大柄な体格に、長い手足が特徴的な男だ。

その野獣の如き獰猛な光を宿す瞳は、肉食獣の鋭い瞳を連想させる。バルガとはまた違った角度の鋭い「暴」を秘めた男だった。


二人目は、店内のカウンターに座るバルアと同じ程度の体格と身長だ。しかし、その瞳にはバルアの様に乱暴的な光はない。


それよりも両目の瞳の色が異常だった。右目は赤く、左目は青い、オッドアイの瞳だった。

それぞれ真珠の様な輝きを微かに放っている。


しかし、赤と青という鮮烈な色合いの両目とは別に、口元に浮かべている酷薄な笑みは世界の全てを嘲笑う様なものだった。


その笑みが男の傲慢さを感じさせ、オッドアイの両目が自身の存在を強烈に主張する。


その容貌を一言で表すなら、「傲慢」という言葉が正しいだろう。


 その二人の男の来店により生じた空白にフォーユはチャンスとばかりに生産性のない会話を脱して、本題へと話を移行させようとする。

 フォーユは来店した二人の男の方を見て厳かに言い放った。


「さて、役者が揃ったことだし、本題といきましょうか」


 そのフォーユの言葉に入ってきたばかりの男二人はフードに素顔を隠しながらも、

 早々に張り詰めるような剣呑な雰囲気を醸し出す。彼らの存在感は、それまでの喧騒を一瞬にしてかき消すほどの重みを持っていた。


「あん?あの猿真似野郎はきてねえのか?」


 しかしバルアは怪訝に片眉をあげ、周りを見回す。メレーシェルも同様に首を傾げた。

 くるはずの人物が来ていないことに疑問を覚えたからだ。


「いえ、あの人は先にスロイデル城に潜入し開門する準備をして待ってるらしいですよ」


 しかし他の四人は知っていた様子だ。代表してフォーユが端的に説明する。

 バルアの言う「猿真似野郎」が誰かも知っていたので無駄な確認は不要だった。


「それはありがたいわぁ。最初の城は簡単に落とせそうね」


「はっ、まぁそっちの方が効率的ではあるな。むしろあの野郎と顔を合わせるのが後になる分こちらの方がよっぽど良い」


 と対して二人が反応を示す。

 両者共に良い風に言っているが、バルアには棘がある。

 理由は「猿真似野郎」とよんでいることで察しがつくだろう。


「はぁバルアさん、相変わらずあなたはタシュアさんが嫌いなんですね」


「あんなやつ好きになれっていう方が難しいんだよ。いや普通に接するなんてのも無理だ」


 そう、タシュアとバルアが水と油なことに。二人の不仲にフォーユが溜め息をついたのも何度目かわからない。

 この関係性は、もはや変わることのない現実として受け入れられていた。


「今更のことでもあるのでこれ以上は何も言いません。作戦の障害にならなければそれで良いです。くれぐれも作戦中に喧嘩はしないでくださいね?」


「わかってるってよ!それよりも早くその作戦について詳しく聞かせてくれ!」


 故の妥協と注意勧告だが、バルアはおざなりに手を振って話を進めるようにいう。


「本当にわかってるんですかね……まぁ時間もありませんから作戦の話にうつりましょう」


 胡乱な目つきでバルアを睨むが、何を言っても無意味と悟って彼の言う通りにしてやる。

 今まで何度も同じ注意をしているが一向に態度は変わらないのだから放っておこう。

 最初の方よりはいがみ合って作戦を邪魔しないようになってきているのだから。


「では、今回の作戦会議をします」


 そしてフォーユはこの店に——この場に六人が集まった理由である惨劇の演出についての本題に入った。

 バルアが獰猛な笑みを浮かべ、メレーシェルも口の端を釣り上げる。

 他の三人も——否フォーユを含めた四人全員が嗤っている。今から話すことがあたかも楽しい遊びのような反応で——


「今回の作戦はそこまで大規模なものでもありません。ただ油断は禁物です。皆さんも漠然と聞き及んでいるでしょうが、今から詳細な作戦説明をするので、一言一句聞き漏らさないでください」


 そう、フォーユは湖面の如き容貌の澄んだ碧眼に剣呑さを交え切り出した。そして青年は言う——


「この頃はゼルグ国に勢いが出てきています。とはいえまだ多少の風が吹いている程度ですが、それは後々ウィスレの均衡を崩しかねない兆候です。なので我々はその勢いを削ぐためにゼルグにおいては重要拠点『スロイデル』を落とします。具体的には——」


 彼らは惨劇の演出を脚色し始めた。その声は、まるで芸術作品を語るかのように冷静で、それでいて不穏な響きを含んでいた。











薄暗いアンティークのバーは、普段ならば静謐な大人の空間として、琥珀色の酒と穏やかな会話が満ちるはずだった。しかし今、その空間を支配するのは、底知れない冷酷さを秘めた六人の男女が放つ異様な空気だった。

闇に蠢く影達の作戦会議は既に佳境に移りつつある。


「とまぁここまでが作戦の概要です。取り敢えず作戦の場所まで一気に『跳んで』しまいしょうか」


フォーユの声は相変わらず涼やかで、まるで友人と旅行の計画を立てているかのような軽やかさを帯びていた。

しかし、「一筋縄ではいかない」と言いながらも、彼の表情には微塵の不安も見えない。

むしろ確信に満ちた、勝利を疑わない冷徹な自信が宿っていた。


それもそのはずだ。フォーユは心の底から信頼しているのだ。この戦闘集団の狂いきった能力ちからを——。

これまで数々の修羅場を潜り抜けてきた彼らの実力を、彼は完全に把握していた。


フォーユの瞳には、既に作戦を完遂した後の光景が映っているようだった。

守備兵たちの絶望に歪んだ顔、崩れ落ちる城壁、そして血に染まった石畳。

それらすべてが、彼にとっては美しい芸術作品の一部に過ぎなかった。


磨き上げられたオーク材のカウンターに置かれたグラスの琥珀色の液体をゆっくりと傾け、それを飲み干してから、フォーユは静かに立ち上がった。


「時間がありません……急ぎましょうか」


そしてフォーユが最後に呟いた言葉には、今までの作戦会議で使った「皆殺し」や「焼き尽くす」などといった直接的で残虐な表現は含まれていなかった。

表面的には、ただ時間を気にする普通の発言のように聞こえる。


だが、最後の一言——「急ぎましょうか」を口にした時、フォーユの声音は今夜このアンティークバーで話していた中で最も残虐で、最も冷酷な響きを帯びていた。

その声には、人間の命を虫けらのように扱う絶対的な冷徹さが込められていた。


彼の表情もまた、「悪魔の如き」という表現が最も適切だった。

美しい顔立ちは変わらないが、その瞳の奥に宿る光は人間のものではなかった。

まるで地獄の底から這い上がってきた魔物が、人間の皮を被っているかのような不気味さを醸し出していた。

その瞬間、フォーユの本性が垣間見えた。普段の慇懃で知的な仮面の下に隠された、純粋な悪意と破壊衝動が。


その悪魔的な表情が呼び水となったかのように、フォーユを含めた店内の六人は次々と席を離れ、出入り口の扉へと向かった。

まるで狩りに向かう狼の群れのように、統制の取れた動きで立ち上がる。


椅子を引く音、足音、衣擦れの音——それらすべてが妙に静かで、かえって不気味な緊張感を醸し出していた。

六人の表情はそれぞれ異なっていたが、共通していたのは冷徹な殺意と、これから始まる戦闘への期待だった。


彼らの動きには無駄がなく、長年連携を取ってきた戦闘集団らしい洗練された統率が感じられた。

言葉を交わすことなく、それぞれが自分の役割を理解し、最適な行動を取っている。

店内の温度が急激に下がったような錯覚を覚えるほど、彼らの纏う殺気は濃密だった。


扉へ向かう途中で、バルアが思い出したというような素振りでメレーシェルに問いかけた。

その口調は、まるで忘れ物を思い出したかのような軽さだった。


「そういえばてめえ、操っていたこの店の店主はどうすんだ?」


「あ〜、そういえば操りっぱなしだったわね」


メレーシェルが手をひらひらと振りながら、まるで些細な忘れ物について話すかのような調子で答える。


「始末するのも面倒だし、貴方にあげるわ。運が良ければなんかいい能力を持ってるかもしれないわよ?」


彼女の声には、人一人の命を物のように扱うことへの罪悪感など微塵も感じられなかった。

むしろ、不要になったおもちゃを友人に譲るような気軽さすら漂っている。

その指先には、まだ操られている店主の意識を支配するかすかな魔力の残滓が揺らめいていた。


「はっ、な訳あるか。まぁ、一応もらっとくか。店主をここに呼べ」


バルアは鼻で笑い、その言葉に微かな期待の色すら見せない。

だが、与えられた獲物を無碍にするほど彼は律儀ではない。


「あんたに命令されるのは気にくわないけど、こればかりは仕方ないかしら」


そんな残酷な会話が、まるで天気の話でもするかのように平然とやり取りされる。

一人の人間の生死が、彼らにとってはそれほど軽い問題でしかないのだ。

この会話を聞いていても、他のメンバーは誰一人として異議を唱えることはなかった。


既にバルアとメレーシェルの二人以外は全員店の外に出ていた。

彼らの足音は次第に遠ざかり、やがて夜の静寂に溶けて消えていった。


店内には、バルアとメレーシェルだけが残され、不気味な静寂が支配している。

アンティークの装飾品たちが、まるでこれから起こる惨劇を予感しているかのに、微かに震えているように見えた。


そこに、バルアとメレーシェルとは別の一人の男が、外からではなく店の奥から現れた。

綺麗に顎髭を揃えた中年ほどのダンディーな男性で、普段なら上品で知的な印象を与えるであろう風貌をしていた。


しかし、彼の足取りはトボトボといった覚束ないものだった。

まるで操り人形のように、ぎこちなく不自然な動きで歩いている。

それに加えて、男の黒に灰色を混ぜた本来なら美しかったであろう瞳は完全に光を失い、そこには虚無だけが広がっていた。


彼の表情は生気を失い、まるで魂を抜かれた抜け殻のようだ。

幻術によって意識を奪われ、ただの人形と化してしまった哀れな犠牲者の姿がそこにあった。

この男が、つい先ほどまで温かい笑顔で客をもてなしていた店主だとは、とても信じられない有様である。


その哀れな男の姿を視界に入れてから、メレーシェルは「早くしてねぇ〜」と軽やかに言いながら、男に背を向けて店を出た。

まるで用済みのおもちゃを捨てるかのような、あまりにも無情な態度だった。


彼女の足音は軽やかで、これから一人の人間が殺されることなど、まったく気にかけていないことが明らかだった。

ドレスの裾が風に揺れ、美しい後ろ姿が扉の向こうに消えていく。

その美しさと残酷さのコントラストは、まさに悪魔的と呼ぶに相応しいものだった。


カランカランギィィィィ


金属製のベルが鳴らされて開閉された扉の音が、向き合うバルアと中年の男の間に響いた。

その音は、まるで死の鐘のように不吉に響き、店内の静寂を破った。


ベルの余韻が消えると同時に、男の虚無に染まっていた瞳に光が戻った。

メレーシェルの幻術が解けたのだ。

突然意識を取り戻した男は、自分の置かれた状況を理解できず、混乱に陥った。


「な、何だ!?」


男の声は震えていた。

自分がなぜここにいるのか、目の前の不気味な男は何者なのか、何も理解できずに狼狽し始めた。

つい先ほどまでの記憶が曖昧で、まるで長い悪夢から覚めたような感覚に襲われていた。

彼の瞳には恐怖と困惑が入り混じっていた。


その狼狽する男の首根っこを、バルアは容赦なく掴んだ。

大きな手が男の細い首を包み込み、圧迫していく。男の足が地面から浮き上がり、必死にもがき始める。


「ぐっ、お前は何者だ!?」


男の驚きと恐怖を孕んだ言葉には、バルアは一切耳を貸さなかった。

まるで虫の鳴き声を聞くかのような無関心さで、中年男の首を締め上げていく。

男の顔が次第に赤く、そして青く変色していく。


「ぐっ、かっ……あっ……お前は……何者……だ」


首を締め上げられて呼吸が困難になっても、男は同じ問いを壊れたように繰り返した。

それは、死の間際にあっても人間としての尊厳を保とうとする、最後の抵抗だったのかもしれない。


その必死の訴えを聞きながら、バルアは残虐な笑みを浮かべた。

まるで面白いものを見つけた子供のような、純粋な悪意に満ちた表情だった。

そして、彼は自らの異能を発動させた。


「…………!?」


中年の男は、断末魔の声を上げることすらできなかった。

バルアの異能によって、男の肉体がみるみるうちに溶けていく。

皮膚が泡立ち、筋肉が液体と化し、骨が音もなく崩れていく。

まるで強酸に触れたかのように、肉体が分解され、消失していく。


眼球は空虚なまま窪み、口は絶望を叫ぼうと開かれたまま、しかし声を発することなく溶けていった。

骨も、血も、髪の毛一本に至るまで、すべてが跡形もなく消え去った。

痛みを感じる間もなく、男の存在そのものがこの世から完全に抹消されてしまった。


最後には、そこに中年の男がいたという証拠は欠片も残っていなかった。

まるで最初から存在しなかったかのように、完全に消失してしまった。床には血痕一つ残らず、ただ静寂だけが支配している。


「これは驚いた。あの女の言った通り、いい能力ちからを持ってやがった。これはいい拾い物をしたな」


消えた男には露ほどの情動も向けず、バルアは淡々と呟いた。

まるで道端で珍しい石を拾ったかのような、軽い満足感を込めて。

一人の人間の命と尊厳を奪ったことへの罪悪感など、微塵も感じていなかった。


彼にとって、店主は単なる「能力を持った素材」でしかなかった。

その能力を吸収できたことに満足はしているが、一人の人間を殺したという事実には何の感慨も抱いていない。


再び残虐な笑みを浮かべながら、バルアも店から出た。

その足取りは軽やかで、まるで良い買い物をした後のような満足感に満ちている。

扉が閉まる音が、この惨劇の終わりを告げる鐘のように響いた。


そうして遺されたのは、主人を理不尽に奪われた店だけだった。

アンティークで小洒落た良い風情が、皮肉なことにうら寂しさを強調することとなった木造造りの建物。


暖炉の火はまだ燃え続けているが、もはやその温かさを感じる者はいない。

美しいアンティークの数々も、主人のいない店で静かに佇んでいるだけだ。

つい先ほどまで、ここには温かい笑顔で客をもてなす心優しい店主がいた。

彼の人生、思い出、愛する人々への想い——それらすべてが、一瞬のうちに消し去られてしまった。

まるで最初から存在しなかったかのように。


夜風が窓を揺らし、アンティークたちがかすかに音を立てる。

それは、失われた命への鎮魂歌のようにも聞こえた。だが、その美しい音色も、もはや誰の耳にも届くことはない。


店の外では、六人の悪魔たちが最後の関所に向けて歩き続けている。

彼らの足音が夜の静寂に響き、やがて闇に消えていく。

後に残されるのは、また新たな悲劇の種だけだった。月明かりが差し込む窓から、空っぽになった空間が静かに見下ろされている。

このバーは、ただの建物として、この夜に起きた惨劇の無言の証人として、そこに佇んでいた。








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