第二十二話 カラフル×ドロップ(前編)
数年後――
大学へ進学し、無事に就職が決まったわたしは久しぶりに街へ出ていた。
今日は奏と雪音に会う大切な日だ。
「ねぇ、クレープ食べに行こうよ~!」
「いいね行こ行こっ!」
高校生くらいの二人組が隣を通り過ぎて、懐かしさが込み上げた。
この近くには加瀬と共に訪れたファッションビルやカフェがたくさんある。もしかしたらまだ同じ店があるかもしれない。だけど一人で足を運ぶ勇気はなく、加瀬がいなくなってからは縁遠くなっていた。
「フォーリーフクローバーカフェ……」
半ば無意識に携帯ストラップを握り締める。テスト勉強を手伝ったお礼にと、加瀬がくれた初めてのプレゼント。インフィニティだったか、雪音にたいそう羨ましがられたのだが、高価なブランド品であるかなどどうでもよかった。加瀬が自分のために選んでくれたことが何より嬉しかったのだ。
「すみません、ちょっといいですか」
背後から肩を叩かれ、道を聞かれるのかと思い振り向いた瞬間、相手がほっとしたように笑った。同じ年か少し年上くらいの男性だ。
「さっき駅で見かけて、可愛いなと思って追いかけてきたんです」
「へ? えっと……申し訳ありませんが、キャッチセールスは興味ありません」
「いやいや違うって! 突然で警戒されても仕方ないけど、もしよかったらこれから飯でもどうですか。もちろん俺のおごりで」
「あの、失礼ですが人違いではないですか?」
「いや君だよ。どうかな? そんな時間とらせないから――」
「「玲から離れろ(離れなさい)」」
ほぼ同時に冷ややかな声がして、わたしと見知らぬ男性はそちらを向いた。そこに立っていたのは、双子に見紛いそうなほどそっくりな美貌の兄妹。周囲の人たちが芸能人かと足を止めるくらい、特別なオーラを放っている。男性は気圧されたのか、あっという間に雑踏へ消えていった。
「まったく何ボサッとしてるのよ。声掛けて下さいって言ってるようなものじゃない。バカなの?」
「言い過ぎだ、雪音。待ち合わせに遅れたのは僕達の方なんだから謝りなさい」
「ふんっ。お兄様ったらいつまで経っても玲に甘いんだから。何よ、何がおかしいの?」
お決まりのやり取りが可笑しくて、思わず口元が緩んだわたしに怪訝な眼差しを向ける雪音。高校を卒業後、本格的にモデルとしての活動を始めた雪音は日本と海外を頻繁に飛び回っていて、なかなか会える機会がない。それでもこうしてたまに顔を合わせると、会えなかった時間がまるでなかったかのように溶けて距離が縮まるから不思議だ。
「二人とも来てくれてありがとう。予定空けるの大変だったでしょう?」
「他でもない玲の就職祝いだからね。槍が降っても来るさ。本当は父さんも来たがってたんだけど、今日もオペの予定が詰まってるみたいなんだ。また改めてみんなでお祝いするって張りきってたよ」
「ふふ、優さんも元気そうね。よかった。奏は医学部でどんな感じ? あまり無理しないでね」
「もちろん。玲を悲しませるような真似はしないって約束する」
「ちょっと! 二人の世界に入らないでよ!」
ぐい、とわたしと奏の間に割り込み、頬を膨らませる雪音。だけど次の瞬間には三人で笑い合う。こんな穏やかであたたかい時間をもう一度過ごせるとは思っていなかった。ふと雪音がわたしの携帯に視線を落とし、表情を曇らせる。
「それ、まだつけてるの?」
「え? ああ、ストラップのこと? うん、大切なものだから」
「……ふぅん。信じてるのね。あれから五年か。早いね。ずっと連絡ないんでしょ?」
「雪音!」
「いいの、奏。ほんとうのことだから」
「玲……。その様子だと、気持ちは変わってないみたいだね」
こくんと頷いた。ただ、加瀬を想う気持ちは、十六歳の頃のまま時間が止まってしまっている。大人に近付く度に薄れていく記憶をどう留めたらいいのか分からなかった。加瀬の笑顔、声、仕草。鮮明に思い出せそうで、どこか霧がかかったように遠い。まるで全てが夢の中の出来事に思えて怖くなる。その度にストラップを握っては、わたしを抱き締める腕の力強さや体温を思い出そうとしていた。
「全然不安じゃないって言ったら嘘になる。だけど加瀬がひとり異国の地で戦っていると思うと、落ち込んでなんていられない。次に会った時、胸を張って迎えられる自分でいたいから、今はできることを精一杯やろうって決めたの」
『次』なんて永遠にこないかもしれないのに――と、雪音の顔を見ればそう思っているは明白だ。それでも「待つ」と約束した以上、わたしからそれを違えることは絶対にしたくなかった。
「もし加瀬が他の誰かを見初めたとしても後悔しないわ。きっと彼以上に愛しく思える人とは二度と出逢えないからこれでいいの。それより、別なことが気がかりで……」
「別なこと?」
「風邪ひいてないかな。毎日ちゃんとご飯食べてるかな。今日も一日無事に過ごせたかな。寂しい思いをしてないかなって考えだしたらきりがなくて」
「はぁ、だめね。あんたのお人好し病は一生治らないわ」
雪音が呆れたようにため息をついた瞬間、奏はそっとわたしの肩を抱き寄せた。一段と男らしくなった手、見上げる身長。だけど心の底からほっとするのは、幼い頃から変わらない慈愛を瞳に宿しているから。
「辛いときは無理に笑わなくていい。僕達は家族なんだから、もっと甘えていいんだよ」
「不器用なあんたのことだから、どうせ誰にも相談してないんでしょ。泣いたらハンカチくらい貸してあげてもいいけど」
表現の仕方は真逆なのに、同じくらい気遣いを感じて胸が熱くなる。もっとしっかりしなくては――二人に心配を掛けまいと固く決めていたし、それは今も変わらないけど――気を張っていなければほんとうに甘えてしまいそうになった。
「玲、電話鳴ってるよ」
「わっ、ごめん」
携帯を確認すると、珍しい名前が表示されて心臓が跳ねる。息を呑んだのが伝わったのか、気を利かせた二人が少しわたしから距離を置く。一呼吸して通話ボタンを押した。
「お久しぶりです、シェリルさん」
「玲菜ちゃん久しぶり! 今少し話しても大丈夫?」
「はい、どうぞ」
「その前にひとつ確認。貴女、誰か付き合ってる人はいるの?」
「……? 加瀬のことをおっしゃっているのであればそうです」
「そうよね。あぁ、バカなことを聞いてごめんなさい。あれからずいぶん時間が経つし、もしかしたらなんて余計な気を回したわね。実は急いで伝えたいことがあるの。けっこうショックかもしれないけど覚悟はいい?」
「加瀬の身に何かあったんですか!?」
「ううん、そうじゃないの。留学してた葵がね、一時帰国するみたい。どうやらフォーコンチネンタルグループの新社長――加瀬進のお披露目も兼ねて記者会見とパーティーを催すらしいのよ。それに出席するつもりだと思うわ。今朝招待状が届いて……って、もしもし玲奈ちゃん? もしもーし」
「玲!?」
呆然と腰を抜かしたわたしの腕を咄嗟に掴み、抱き起こす奏。それを心配そうに見守る雪音と目が合い、体が震えた。加瀬が日本に帰ってくる――
「玲菜ちゃん聞こえる? パーティーはまだ先だから詳しくはまた連絡するわ」
残り二話です。更新をお待ち下さった読者様、ありがとうございます!




