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カラフル×ドロップ  作者: 水嶋陸


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第二十話 はじめての気持ち。(後編)


「あ、ほらあの子だよ。加瀬くんの彼女!」

「えぇ~~!? うそっ、信じらんない! ほんとにいるんだ……」


私達が手を繋いで教室へ戻って以来、二人が付き合っているという噂は火がついたように広がった。

そうして少し気詰まりな日々を過ごした頃、文化祭当日がやってきた。

「お嬢様カフェ」は想像以上の人気で、教室の外まで行列ができている。もちろん、人気を独り占めしているのは執事姿の加瀬――


「お帰りなさいませ、お嬢様」

「きゃああ、お嬢様だってぇ! もっかい呼んで――!!」


――ではなく、なぜか男装したわたしだった。

ショートカットに見えるよう髪をあげて、執事の衣装を着ただけ。お化粧はしてない。

だけどどうしたことか、男装が意外にもしっくりきていることに自分でも驚いてしまった。


「お嬢様、お召し物が汚れてしまいます」

「えっ、あ、ありがとう」


興奮してバタバタしていた他校の女性客にナプキンを差し出すと、ほのかに頬が染まる。

なんだろう、この感覚は。未知の領域に足を踏み入れたような、でも嫌じゃないような……


「玲菜、交代の時間だ。お嬢様、ここからは私がお相手しましょう」


突然現れた執事――加瀬に面食らった女性客は、ちらと顔を見上げた。

視線に気付いた加瀬は完璧な営業スマイルで応えると、彼女は恥ずかしそうに俯いた。

加瀬が別な女の子に微笑んでいる――けしてやましい意味はなくとも、なんだか胸がもやもやする。


「ではこちらのお客様はお任せします」

「? 何怒ってんの?」

「別に怒ってません」


素っ気なく顔を背けると、急に肩を掴まれた私は加瀬に引き寄せられた。

咄嗟に突き放そうとしてもビクともしない。そうしている内に耳元で囁きが落ちる。


「自分だけ妬いてると思うなよ。今日の玲菜、かっこよすぎ」

「――っ」


ヤキモチ? ずっと前から度々起きた焦燥感の正体はこれ? 


「Oh!! 愛の告白ですかー? 公開ラブシーンなんて大胆デース!」

「「!!??」」

「久しぶりね! 葵、玲菜。相変わらず仲良しね」

「シェリルさん! いつご到着されたんですか?」

「ふふっ、実はけっこう前よ。思ったより早く着いたからさっきまで見学させてもらったわ」


意味深なウインクを投げかけて、腰に手を当てるシェリルさん。気付けば教室中の注目を集めていたのだが、他人に見られることに慣れているのか全く気に留めていないようだ。突如現れた謎の美女は明らかに浮いていた。こういうの、セレブのオーラっていうのかな? 『君と葵では住む世界が違う』と言い放った進を思い出して胸がチクリと痛んだ。


「ねぇ、それは新しいプレイなの?」

「はい?」

「美男子ふたり……どっちが受けで攻め?」

「えぇええ!?」

「っと、遊んでる場合じゃなかったわ。玲菜ちょっと借りるわね」

「ちゃんと返して下さいよ」

「もちろんよ。no problem!! さ、行きましょ玲菜!」


レッツゴー! とシェリルさんに促されて教室を飛び出す。背後に心配そうな加瀬を残して行くのは気が引けたが、人混みをすり抜けるのに精一杯で振り向く余裕はなかった。

しばらく小走りで廊下を進み、実験棟へ移動したシェリルさんは胸元から何かを取り出して準備室の鍵を開けた。ものすごい早業で、何をしているのかはっきり見えなかった。


「あの、シェリルさん今のは……」

「細かいことは気にしなーい! top secretです!」


にこやかな笑顔を見せられれば、それ以上の詮索は無用だった。私は相手の話を聞こうと黙り込んだのだが、どうやら彼女は別の意味に解釈したらしい。


「私が怖い? 葵は私のこと信用してないから当然か」


少しだけ寂しそうに瞳を伏せたあと、また人懐こい笑顔を浮かべるシェリルさん。

加瀬は十分気を付けるように念押ししてきたけれど、私はどうしても彼女が悪い人だと思えなかった。


「負けないで」

「?」

「前に婚約記念パーティーでお会いしたとき、貴女は私を励ましてくれました。私のことを何一つ知らないのに、前進する勇気をもらいました」

「それは大げさよ。ただの気まぐれだったから」

「ふふっ」

「なに? 何かおかしかった?」 

「いえ、違うんです。すみませんなんだか嬉しくなって」

「嬉しいって何が?」

「わざと試すような口調で予防線張ろうとするところ、加瀬にそっくりです」

「!!」

「あ、違いました。加瀬の方があなたに似てるんですね。貴女のこと、よく見てたでしょうから。加瀬が一人で心細かったとき、側にいてくれる人がいて良かった。そしてそれが他でもない、貴女で良かった」

「どうしてそんなことが言えるの」

「二人の間に何があったのかは分かりません。だけど加瀬が本気であなたを恨んでいるとしたら、こんなふうに私を一人で送り出したりしないと思います。相手を見定める目はシビアですから」

「よく知ってるのね、葵のこと」

「一応パートナーですから」

「パートナー、か」


苦笑いをしたシェリルさんはふと、その美しい(おもて )に影を落とした。こうして会うのは二度目だが、誰にでも言いたくない過去のひとつやふたつあるだろう。そして彼女はそれを、他人の同情を誘う材料に仕立てるような人間じゃないと直感的に思った。


「葵にはね、大切なひとがいたの。当時まだ若かった私は、葵の母に脅迫されて彼女と引き離したのよ。あの子が重度の人間不信っていうのはもう気付いてるでしょう? 私の影響も大きいわ」


『大切なひと』のひとことに小さな衝撃を受けた私はつい、それを表情に出してしまった。

もちろん彼女はそれを見逃したりはしない。シェリルさんは慌てたように続きを付け足した。


「ごめんなさい誤解しないで。恋人って意味じゃないの。葵はまだ子供だったし、彼女もそう。二人はそうね、いわば幼馴染のような関係だったの。そして唯一、葵が初めて心を許そうとした友人だった」


友人だったという響きがとある記憶を呼び覚ます。そう、あれはずいぶん昔の話だ。遠足で奏のお守りをなくした私は、探している間に遭難しかけてしまった。その時駆け付けてくれた加瀬は、私の忘れ物が見つかったと聞いて――


『よかったな。わざわざ戻るってことは、だいじなもんなんだろ?』

『……はい』

『じゃあ今度は絶対なくすなよ。なくしてから後悔しても遅いからな』


とても穏やかな、優しい口調でそう言ってくれたのだ。そのときはあまり気に留めなかったが、加瀬には深い後悔が刻まれているのかもしれない。ああ、そういうことか――


『あなたはきっと、周りを悲しませないように生きてきたんですね。だから相手のことによく気がつく。欲しい言葉をくれる。さり気ない優しさも、明るい笑顔も、それが貴重だって知ってるから』

『サンキュ。そんなふうに言ってくれるひと、他にもいたんだな』


絡まった糸が繋がるように、言葉の真意が解けていく。シェリルさんは私の顔を見て、心あたりがあることを察したのか神妙な面持ちになる。


「どこにいてもあなたはあなた」

「!!」

「彼女の口癖だったの。家に居場所がなくて、常に監視されている状況の葵にはどんなに救いだったか……だけど、彼女と過ごすことは葵に悪影響を与えると判断されて、加瀬グループに雇われていた彼女の家族は左遷されたのよ」

「そんな、悪影響だなんて!」

「私にもよく分からないわ。どうして加瀬グループがこうも葵に関して神経質になるのか。そもそも正式な後継者の他にわざわざ養子を引き取った件はずいぶん話題になったのよ。色んな憶測が飛び交ったわ。だけど葵の出生に関する詮索はタブー。当然圧力がかかり、内部の者はみな口を噤んだのよ」


加瀬の抱えている重大な秘密は身近なひとにも洩らされていない、ということが私を静かに打ちのめした。ひょっとしたら何年も、十年近く面倒を見てくれた彼女にさえも心を閉ざし、そして自らを破滅に追い込むかもしれない――マスコミが血眼で暴こうとしたスキャンダルの種を明かしてくれた覚悟がいかに重いか改めて認識せざるをえない。


「シェリルさんはお優しいんですね。普通なら仕事と割り切って離れてしまえるものを、今でもこうして心を砕いていらっしゃるのですから」


このときシェリルさんは初めて怒りを露わにした。それが私に対して向けられたものでないことは、自責の念に溢れた懺悔――保身のために脅しに屈したこと――がありありと物語っていた。


「買い被らないで。私は優しくなんてない。自分の家族を守るために葵を売ったも同然よ。葵の母は怖いひと。目的を達成するためには手段を選ばない。他人を切り捨てることに何の躊躇いも感じさせない。それでいて葵に対する執着は明らかに常軌を逸している。周りの人間が葵を敬遠するのは、彼女の逆鱗に触れるのを何より恐れているからに違いないわ」


ひとしきり話し終えたあと、彼女は深いため息を吐いた。それから気を取り直したように私を見つめ、忠告の意味を込めた眼差しで訴えかけてくる。だけど頭の中では別なことが気にかかっていた。信頼を寄せてくれているはずの相手を裏切るには、あり余るほどの良心を汲み取れたからだ。


「ごめんなさい。聞いて楽しい話じゃないことは重々承知よ。ただ、あなたが葵と共にあることを望むなら、相手がどういう立場なのかをよく知っておいた方がいい。そう思って来たの。でも、余計なお節介だったみたいね」


いいえ、と首を横に振って応えると、厳かに唇を結んだ彼女は目で頷いてみせた。「私の用はこれでおしまいよ」――明るい笑顔に戻ったシェリルさんは教室に戻るよう勧めてくれたが、思うように足が動かない。


「ずっと……辛かったんですね」

「ん? まぁ、葵はいつでも『特別』だったから」

「いいえ、加瀬だけじゃない。シェリルさんも同じはずです」

「私も?」

「目の前に守りたいひとがいるのに守れないのは何より辛いから」

「……!」

「ご家族を守るために身を引いた貴女を卑怯だなんて思いません。加瀬もそれが分かっているから今もこうして向き合えるんだと思います。貴女がほんとうに加瀬を案じていなければ、こうして私の前に現れることもなかったでしょう? 壊れそうになる心をギリギリのところで繋ぎとめてくれたシェリルさん、幼馴染だった彼女――そういう人達が少しでも側にいてくれたことを嬉しく思います。たとえ不本意な別れ方だったとしても、相手の心に残るものは必ずあるから。それは他人が勝手に触れて奪えるものじゃない。加瀬が強くいられるのは、沢山の後押しがあったからなんですね。……私が加瀬の代わりに頭を下げるなんて、厚かましいのを承知でお礼させて下さい。ほんとうに、ありがとうございました」


深く頭を下げると、彼女はそっとそれを起こしてくれて微笑んだ。しばらくお互いを見つめ合ったあと、穏やかな声音が優しく響いた。


「葵がどうしてあなたを選んだのか理由が分かったわ。あの子は――いいえ、彼は将来必ず成功を収めるだけの器を持ってる。元々人の上に立つ素養は十分にあったけど、あなたに出逢ってからこれまでにない成長を遂げていると思う。お互いに良い影響を与えられるのはそれだけでも相性が抜群なのよ。今更頼めるような立場じゃないけど、葵をよろしくね」


私は胸が詰まって、どうにか答えた返事は微妙に声が裏返ってしまった。まだ何の力もない、後ろ盾もない高校生の自分に大切なひとを預けてくれることが自然と背筋を伸ばした。加瀬を守りたいと願っているひとがいる。そしてその想いに応えられる自分でありたいと強く心に刻んだ。そのとき、


「――芦田玲菜さんですね?」


不意に横やりが入って、シェリルさんとほぼ同時に振り向いた。と、瞬く間に数人の男達に囲まれて退路を断たれてしまう。誰の顔にも見覚えがなかったが、見るからに仕立ての良いスーツに身を固めた彼らが只者でないことは容易に見当がついた。そしてなぜか――静かに獲物を狙う鋭い眼光は、間違いなく自分に注がれている。






気付けば五か月も間が空いてしまいました。それでもお待ち下さった読者のみなさまに心から感謝します。いつもありがとうございます!

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