第十二話 プリンセスになる魔法。(中編)
待ち合わせ場所で顔を合わせてからずっと手をつないでる。
わたしはいつ離すべきかタイミングが分からないまま加瀬の背中を追っていた。
しばらくしてぴたりと足を止められ、危うくぶつかりそうになる。
「はい。目的地その一、とうちゃーく!」
「ショッピングモールですね。何か見たいものがあるんですか?」
「ん、まぁそんなとこ」
ついと視線をあげればそこはガラス張りの高層ビルが堂々とそびえ立っている。
内装は黒を基調とした高級ブティックのような雰囲気で大人っぽい。
「すごいビルですね。残念ながら今日は休館みたいですよ」
「開いてるよ」
「え? でも扉は閉まってますし、他には誰も」
「貸切だからトーゼン」
「あぁ、なるほど」
……。…………ん? 貸切??
聞き慣れない言葉に瞬間凍結したわたしをスルーして合図を送る加瀬。
すぐに館内からスタッフらしきお兄さんが来て回転式の扉を開いてくれる。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、加瀬様」
ええええええええ。
なんだかとんでもないことになってきた!
今からでも遅くはない、帰ろう。うんそうしよう!
「わたし少し用事を思い出しましてっ」
「おっと、どこ行くの玲菜?」
「だーめ」と肩を抱かれれば簡単に胸が鳴る。
やだ、加瀬に聞こえてしまうかも……っ。
慌てて離れるとしょんぼりと上目遣いで見えない耳としっぽを垂らす。
神様。やっぱりわたしは悪魔に捕まったみたいです。
「お、お買いもの楽しみですね?」
引き攣りそうな唇をせいいっぱい正してV字にした。
無理やりな笑顔でも加瀬はOKと受け取ったらしく瞳を輝かせている。
だめだ、逆らえない……。
てっきりウィンドーショッピングするものだと思い込んでいたわたしはエレベーターに直行されてまたも意表を突かれた。到着したのは最上階の映画館。
「映画を観るんですか?」
「正解! 新作のラブストーリーがあるんだ」
なんだ、意外と大丈夫かも?
油断したわたしはおそろしいほど広いシアターに通され言葉を失う。
しかしこれで終わらないのか個室へ案内されてしまった。
バルコニー部分に作られた客席はまさにプライベート感たっぷり。
ヨーロッパの歌劇場を彷彿とさせる豪華さを保ちつつとても上品だ。
「はいはい、玲菜座ってー」
加瀬にそっと背中を押されて前へ進む。
座り心地の良さそうなロングソファへ促され、おずおず腰を沈めた。
う、わぁ。絶妙な弾力。体を預けると当たる部分によって柔らかさが微妙に変わる。
なんでもイタリアの有名なデザイナーさんが特別に手掛けた品らしい。
初めてのカップルシートに緊張していると、加瀬は用意されていたウェルカムドリンクを手に微笑む。
「それではこれから魔法をかけます」
「え?」
「今日一日、玲菜がプリンセスになる魔法」
この映画はその手始めだよ、と言われてグラスを受け取り乾杯した。
涼しい音を立てて離れるグラスはよく冷えている。
ノンアルコールのカクテルは薄暗い中でもグラデーションがとてもきれい。
ふと視線を落とすと足置きまで設置されていて驚いた。体を伸ばして鑑賞できるように、かな?
なんというか至れり尽くせりすぎる。
「プ、プリンセスってどういう意味ですか?」
「すぐに分かるよ。いまは楽しんで」
わたしが身の丈に合わないぜいたくに縮みあがっていても、加瀬は自宅のように寛いでいる。
肩が触れるか触れないかの距離に座っているとさりげなく手を握られてしまった。
微かに肩が震えると、今度は優しく包み込むように握り直してくれる。
何も言われないから余計に手を引きづらい。
てのひらに汗をかいたらどうしよう、とかヘンなことに気を取られているうちに映画は始まった。
加瀬とふたりきりの映画館はほんとうに静かで、静かすぎて。
しばらく落ち着かなかったもののようやく平常心を取り戻し映画に集中する。
ひとことで言うと、王道のシンデレラストーリーだ。
働き者の村娘はある日、素敵な王子様と出逢う。
はじめは身分の違いからお互いの気持ちを隠そうとするけれど、王子様の政略結婚が浮上すると二人は駆け落ちを決意。
結局周囲にバレて妨害に遭うものの、最後は幸せに結ばれるお話。
ラストシーンではお城の舞踏会でみんなに祝福されながらダンスをしている。
「素敵」
無意識に呟いてしまった。
ヒロインのドレスは腰から裾にかけて広がるふわっとしたプリンセスライン。
胸元には細かな装飾や刺繍が施されており、頭上には宝石をはめ込んだティアラが輝く。
女の子なら誰しも一度は夢見るシチュエーションだろう。
でも、こんなぜいたくはいらない。
こうして隣に加瀬がいてくれるだけで世界でいちばん幸せな気持ちになれる。
おまけに手をつないでいるなんてこれ以上ないご褒美だ。
ドキドキしてる、すごく……。
加瀬は平気、なのかな。他の子ともこんなふうにつないだりするのかな。
やっぱりただの気まぐれ? それとも――
エンドクレジットの間、ふと視線を感じて隣を見た。
星屑を散りばめたような碧い瞳。
暗闇の中でもはっきりと分かるその輝きに映画が霞んでしまいそう。
「楽しめた?」
「え、ええ」
次第に明るくなる館内。
ぼんやりしていた視界がだんだんはっきりしてきて加瀬を見つめ返した。
一瞬の沈黙。
加瀬は握っていたわたしの手を優雅な仕草で自分の胸に寄せ、恭しくお辞儀する。
「麗しの姫。どうか今宵あなたを連れ去る無礼をお許し下さい」
これもデートの演出なの?
訳が分からず戸惑っていると、ぱっと笑顔に戻った加瀬はわたしを立ちあがらせた。
プリンセスになる魔法。
ロマンチックな映画は前座に過ぎない。
このあと現代の魔法使いがわたしを待っているなんて、夢にも思わなかった――。




