第十二話 プリンセスになる魔法。(前編)
「……っ、遅くなっちゃった」
とある夏休みの一日。
わたしは息を切らして地下鉄のホームを走っていた。
慣れないヒールの靴でうまく前へ進めないのがもどかしい。
どうしてこんなに急いでるのか?
それは終業式の夜に遡る――
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「玲菜どこ行ってたの? せっかく一緒に帰ろうと思ってたのにー」
「す、すみません。ちょっと急用が入りまして」
「あーやーしーい」
「は、はい?」
「素直すぎ。どもりすぎ。ビビりすぎ」
「!!」
「なーんか俺に隠してない?」
「べっ、べべべ別に何も隠してないです!」
「むー」と不満そうな声を漏らした加瀬は電話越しでも拗ねていると分かる。
特にやましいことはないけれど、奏と会っていたことを知られたくなかった。
「ペナルティ発動」
「え?」
「隠し事した罰です」
「ええぇ!?」
「玲菜、俺とデートして」
「……デート」
「そう。デート。この意味分かる?」
「し、知ってますよそのくらい!」
「はぁ。やっぱ分かってないなー」
「??」
「いーよ。玲菜が超ド級のニブチンだってことはリサーチ済みだから」
「超ド級の、なんですって?」
「ぶっぶー。同じことは二度言いませんー」
それから加瀬は慣れた調子で日時と待ち合わせ場所を決めてしまった。
デートくらいと大見栄切った手前ぜったい秘密にしたいけど、奏以外の男の子と出かけるのは初めて。
家と学校、バイト先にスーパーくらいしか行かないから電話を切ったあと慌てたのは言うまでもない。
悲しいことに相談できるような女友達もいないし、雪音に指南を請おうものなら頭から噛みつかれそう……。と、いうことで。わたしはプランBをデート前に実行した。
「あ、あの。いまどきどんな服が流行ってるんですか?」
「えー、どうしたの急に」
「友達と遊びに行く約束をしたんですが、その……ご存知のとおりわたしはこんななので」
通勤着は色気の欠片もない白シャツに黒のスリムパンツ。痩せてるせいで胸もお尻もない。
おまけにファッションセンスはゼロどころかマイナスに等しい。
プランB――バイト先でお世話になっている派遣担当の美人上司に相談したのは苦肉の策。
「えー! なにそれ思いっきりデートじゃない! 相手どんな子? 写メないの写メ!」
「え、えーと」
いま貴女が手に取っている雑誌の表紙に載ってます、とは口が裂けてもいえない。
「ホスピタリティの真髄」なる女性向けのビジネス誌は今をときめく大企業の御曹司特集でもちきりだ。
普段は雑誌なんて見ないのに本屋で加瀬を見つけて衝動買いしたのは人生初のミーハー行為。
「いやーん、芦田ちゃんにもついに春が来たのね!? 地味で地味で背景に擬態してたあなたに!」
「あの、それ褒めてます?」
「嬉しいわ! やっぱり女は恋してきれいにならなくちゃ」
「こ、こここ恋なんてわたしは別にそこまで……っ」
「可愛くなりたいって思ったんでしょ? その子のために」
「え」
「でなきゃこんなこと聞いてこないもの。若いっていいわねー」
ほう、とため息を零した彼女は年齢を重ねてますますきれいになっていた。
すれ違うたびにふわっと広がる花の香りはいやらしさがないうえに大人の色気がある。
自分もいつかこんな香りが似合うようになれるかな、なんて図々しいことを考えたくらい。
そしてようやく今に至る――
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「加瀬、もう来てるかな」
結局アドバイスされたとおりの服装で家を出た。
移動中、何度かチラチラ視線を感じたのは気のせいだろうか。
男のひとに声を掛けられそうになってダッシュで逃げたけど、あれはキャッチセールスに違いない。
「あ、もう来てる。加……」
視界に入った加瀬に手を振ろうとして呼吸を忘れた。
ショーウィンドウに背中を預けて佇む加瀬がキラキラして見える。
ま、眩しいっ。いつもの二割、ううん三割増し、かも。
服装はけして華美じゃない。むしろカジュアルな雰囲気なのにどうしてあんなに目立つのか。
とにかく抜群にセンスが良い。でも背伸びした感じはなくて、自然に着こなしている。
通り過ぎる女の子たちがすごく熱い視線を送るけど、加瀬は見向きもしない。
ただどこか嬉しそうに、落ち着かない様子で立っていた。
――うそみたい。あんなに素敵な男の子がデートの相手なんて。
わたしと会える、それだけなのに。あんな幸せそうに待っててくれるの……?
胸の奥がキュウっと弾けて切なくなった。悲しい切なさじゃなく、幸せな方の。
知らなかった。誰かと待ち合わせするって、それだけで心を満たしてくれるものなんだ。
「加瀬! お待たせしました」
このままずっと見ていたい気持ちを抑えてわたしは加瀬に駆け寄った。
勇気を出して声を掛けると、一瞬笑顔になったあとでポカンと目を丸くする加瀬。
視線が合ったと思ったらすごい勢いで逸らされてしまう。
「玲菜サン、それはダメ」
「え……」
今日の服装、だろうか。
プリーツ加工された短めのスカートはふんわりしたピンク。
小花柄のコットンシャツはボリュームのあるボトムをドレスダウンしてくれる。
ウッドサンダルは歩きやすさを重視して踵が低めのものにしてもらった。
だけど、だ。もしかして外したかもしれない。みるみる背中が凍りついていく。
「すみません。今すぐ着替えてきますっ!」
「あー! 違うんだ! そうじゃなくてっ!」
そもそもこんな可愛い服は日陰者に似合わない。分かってた。分かってたけど。
恥ずかしくて死にそう……っ。
半泣きで回れ右しそうになったとき、強く腕を引かれて驚いた。
そのまま振り向かされたと思ったら息つく間もなく抱きしめられてしまう。
う、わ。男の子の――加瀬のにおいがする。つま先から頭までふんわり優しい香りに包まれていく。
両腕にすっぽり収まってしまう自分の体はずいぶん小さく感じた。
周囲から冷やかしに近いざわめきが聞こえれば体が硬直してしまう。
「か、加瀬。ひと、が見てます」
掠れた声で抗議すればいっそう腕の力が強まり息がくるしくなる。
ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめるみたいに、加瀬は少しもわたしを離してくれない。
「もう少し自覚して」
「え」
「我慢にも限界があるって知ってる?」
「げ、限界……」
「殺人的に可愛くて萌えた」
「!!」
わたしの肩に顔を埋めた加瀬が呟き、どうしていいか分からなくなってしまう。
頬から首筋にかけて触れる加瀬の柔らかな金髪がくすぐったい。
「あーもう! 今すぐどこかに連れ込みたい」
「な、な、なにを」
「変な想像しちゃった? 玲菜のエッチー」
肩に顔をのせたままくるっと向きを変えてわたしを見つめる。
悪戯っぽい表情はいつもより幼くて、ほんとに少年そのもの。
こんなふうに甘えるなんてずるいよ……。
完全にしてやられたわたしに微笑みかける加瀬の瞳はとても優しい。
「ごめん。そういう意味じゃないんだ。ただ玲菜を独り占めしたかっただけ」
そっと前に倒した体を起こし、ひとこと耳元で囁いてから離れて行く。
「他の奴に見せたくない」なんて真剣な声で言うのだ。あのべルヴェットボイスで――。
たぶん、加瀬は自分のひとことにどれだけ破壊力があるかなんて考えもしない。
それとも分かっててわざとやってる? ああ、もうからかわれてたとしても目眩がする。
心臓が早鐘を打ってそのまま壊れてしまいそう。
「今日は俺が玲菜のナイトね。それでは、お手をどうぞ? お姫様」
加瀬はもういつもの笑顔で手を差し伸べてきた。
わたしがその手を取ると信じて待ってる。
――からかわれてる。
わたしだけ意識して振り回されてバカみたい。
それでも差しだされた加瀬の手が。輝く笑顔が眩しくて。
素直に従ってしまうわたしはもう、引き返せないほど彼に惹かれていた。
加瀬×玲菜の初デートです。
糖度高めで続きます<(_ _)>




