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元戦国剣士の公爵令嬢は、愛ではなく忠誠で辺境伯を護る  作者: 枢氷みをか
序章・出会いと婚約

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5/15

婚約の知らせ

「ラファシアン様……! 大変です!! 陛下より、次の婚約に関する勅令が下りました……っ!!」


 王都に構えるフォルスタート家別邸の静寂を切り裂くように、シエルの狼狽した声が響き渡った。教皇への拝謁から、わずか二日後のことである。

 執務の手を止めたラファシアンは、無作法に扉を押し開けて飛び込んできた補佐官へ視線を向け、わずかに目を見開いた。


「勅令? ……今回はずいぶんと重々しいな」


 国王の命である勅令は、基本的に拒むことが許されない。

 その深刻さが滲む言葉に、ラファシアンは眉根を寄せ、無意識に背筋を強張らせた。


「……それが、単なる勅令ではないようなのです。どうやら今回は教皇猊下による『教皇勅書(ちょくしょ)』が届いたとか」

「!? ……猊下が? ……勅書を?」

「もう十七回も婚約を破棄されましたからね……。フォルスタート家の断絶は、即ちこの国の守護を失うも同然。さすがの猊下も、業を煮やされたのでしょう」


 溜息混じりに告げられたシエルの言葉に、ラファシアンは沈黙を落とした。脳裏に浮かぶのは、二日前に仰いだ教皇の、逃げる事を一切許さぬ峻烈(しゅんれつ)な双眸だった。


 己の重責を忘れ、愚かにも情に流された自分を、教皇は静かに、だが容赦なく(たしな)めた。そんな不甲斐ない自分の姿に不安を覚え、縁談を強行するという判断に至ったとしても、何ら不思議ではない。


(私の甘さが……かえって相手のご令嬢の逃げ道を奪ったのか……)


 己の失態を呪うように拳を握りしめ、ラファシアンは一度深呼吸に似た息を吐く。

 口から吐き出したのは、果たして呼吸か、あるいは後悔だろうか。


 ラファシアンは眉間にしわを寄せた額に手を当て、逃れられぬ運命を遮るように目を伏せた。


「……それで? 相手はどこのご令嬢だ?」

「あー……それが─────…」

「? どうした、シエル?」

「その…………」

「……問題のあるご令嬢か?」

「いえ……! 決してそういうわけでは……! あー……いえ……ある意味、問題があると申し上げるべきか……?」


 煮え切らないシエルの態度に、ラファシアンは整った眉を歪ませる。


「……一体どっちなんだ?」

「いえ、決してご令嬢に不満があるわけではないのですよ? むしろ不満がなさすぎて恐れ多いと申しますか─────」

「いいから名を教えてくれ」


 ラファシアンは呆れたように溜息を落としながら、痺れを切らしてシエルの歯切れの悪い言葉を遮る。続く言葉を奪われたシエルはしばし沈黙し、主の射抜くような眼差しから逃れるように顔を背けた。


「……─────です……」


 消え入りそうな声で囁かれたその名は、ラファシアンの耳をわずかにかすめただけで、捉えきれず空に消える。


「? なんだ? よく聞こえない。もっとはっきりと言ってくれ」


 逃げ場を塞ぐような主の強い促しに、シエルはようやく観念して、意を決したように、その重い口を開く。


「……マレグレン公爵令嬢です」

「……マレグ─────」

「…………………」

「…………………」

「…………………」

「マレグレン公爵令嬢……っ!!!!? あの『漆黒の至宝』と謳われる絶世の美女────公女殿下か……っっ!!!?」

「そうなんです……っ!! 正真正銘その公女殿下なんですよ……っ!!!」


 シエルの額を伝う冷や汗に呼応するように、ラファシアンの顔色も瞬く間に蒼白へと染まっていった。


 マレグレン公爵令嬢に問題があるわけではない。それどころか、王家にも連なる最高位の貴種だ。銀髪ゆえに『醜男(ぶおとこ)』と蔑まれてきた己が、そのような高貴な女性を娶るなど、本来ならば身に余る光栄を通り越して奇跡に近い。


 だが─────。


「……………あまりに釣り合わなさすぎだろう……!」


 血の気を失った唇から零れ落ちた独白に、シエルもまた、沈痛な面持ちで深く頷きを返した。


 方や、王家の血を受け継ぐ由緒正しき系譜に生まれ、国一番の『絶世の美女』と謳われる公女殿下。

 対して自分は、教皇である『神寵(しんちょう)者』の血を継ぎながらも、表向きは縁もゆかりもない一介の辺境伯に過ぎない。その上、『世界で最も醜悪な貴族』という、これ以上ない不名誉な烙印を押された男だ。


 並べ立てるまでもなく、その差は歴然としている。どう抗っても、釣り合いが取れているとは口が裂けても言えないだろう。


「おまけに公女殿下はつい先頃まで、王太子殿下の婚約者であらせられた……! 御幼少の頃から王妃教育まで受けられていた高貴なお方が、次期王妃の座を辞した途端、次の嫁ぎ先がこの私だなどと知れば─────」

「まあ、発狂なさるでしょうね……」


 あえて言葉を継がなかった先を、シエルがげんなりとした表情で拾う。その一言でなおさら、ラファシアンの顔から血の気が引いていった。


 ─────過去十七回に及ぶ婚談を経て、ラファシアンは一つの法則を見出していた。


 『令嬢の家格が高ければ高いほど、自分に向けられる憎悪は、より苛烈なものになる』


 辺境伯という地位は、決して低くはない。公爵に比肩(ひけん)する権力を持ち、家格においても侯爵と同等、あるいはそれ以上に位置する。相手が侯爵以下であれば、本来気後れする必要などないのだ。むしろ令嬢側が分を弁えるべき立場なのだが、それでもラファシアンのあまりに醜悪な容貌に、理性を保つことが難しくなるのだろう。


 家格が低い令嬢ならば、まだいい。静かに涙を流すか、どれほど取り乱しても泣き喚くか失神する程度で済む。

 だが、上位貴族の令嬢は違った。彼女たちは決まってラファシアンに容赦のない罵詈雑言を浴びせかける。高い家格ゆえの矜持と高潔な自尊心があるだけに、醜悪な男に嫁がなければならないという不名誉な現実を、耐え難い屈辱として受け止めるのだ。


 そして今回、婚約者に指名されたのは、その頂点に君臨する公女殿下だ。『絶世の美女』という称号を(ほしいまま)にし、王妃教育まで修めた元次期王妃。その上、今回の縁談は拒絶の許されない勅令でもある。彼女からの痛罵(つうば)は必至だろうか。


(……いや、王家の血筋という矜持をお持ちであれば、表立って罵るような真似はなさらないはず。だとすれば、公女殿下が選ばれる道は─────)


 高潔なる死。


「……まあ、家格だけで言えば、釣り合いは取れているのですけどねえ……」


 独り言のように漏らしたシエルの言葉は、もはやラファシアンの耳には届いていなかった。言い知れぬ胸のざわめきを覚え、不安に突き動かされるように、彼は唐突に立ち上がる。

 元より色白な顔が、死人のように蒼白に染まっているのを見て、シエルは心配そうに主の顔を覗き込んだ。


「………ラファシアン様? いかがなさいまし─────」

「行ってくる」

「え……!? 行くってどちらへ……っ!?」


 返事も待たず、ラファシアンは歩を進めた。執務室の扉を勢いよく開き、困惑に目を丸くするシエルを振り返る。


「当然、猊下の御許(みもと)へだ!」


**


「………すまない、リュシー。……お前の婚約が決まってしまった………」


 数日前まで意気揚々と次の候補を選んでいたはずの父が、幽霊でも見たかのように肩を落として、悄然とそう告げる。そのあまりの落胆ぶりに、リュシエリアーナは思わず目を瞬かせた。


「………えー……っと……」


 『もう決まったのか』と驚くべきか、『なぜそこまで落胆しているのか』と問うべきか。判断に迷い、リュシエリアーナは言葉を濁した。


 正直なところ、婚約が早々に決まったことに対する驚きは大きい。王太子との婚約解消からわずか五日後の事、これでは時間稼ぎする暇すらない。

 だが、それ以上に胸の奥をざらつかせたのは、二日前の高揚ぶりが嘘のような父の変貌だった。


 前世で戦場を駆け抜けてきた身に染みついた勘が、低く警鐘を鳴らす。

 これはいわゆる『虫の知らせ』というやつだ。


 リュシエリアーナはその不吉な予感を一蹴したいと思いつつも、生唾をごくりと呑み込み、意を決して切り出した。


「……まさか……良縁とは程遠い相手だ、とはおっしゃいませんよね……?」

「……!? すまない、悪い、申し訳ない……!! 私だって、こんな婚約は不本意なのだ……!!」


 図星を突かれた父は、親の威厳などどこへやら、執務机に額を叩きつける勢いで平伏した。

 それを肯定と受け取った瞬間、リュシエリアーナの眉間に険しい縦皺が刻まれる。隠しきれぬ動揺と、武人らしい苛烈な怒りがその紫電の瞳に宿った。


「……よい縁談を見繕うと豪語なさっておられたのは、私の幻でしょうか……!?」


 そもそも婚約など、死んでも願い下げなのだ。その上、相手に問題があるなど言語道断にもほどがある。

 娘の放つ鋭い覇気に圧され、父は机に頭を擦り付けたまま、ただひたすらに謝罪を繰り返した。


「いや、本っっ当に何と詫びればよいか……っ!! 申し開きの言葉もない……っ!!」

「謝って済む問題ですか! 私の一生がかかっているのですよ!」

「それは重々判っている……!! だが─────」

「……リュシー、あまりお父様を責めないであげて」


 二人の間に、真綿で包み込むような柔らかな声が割って入る。言うまでもなく、母だ。

 娘に甘い父と、年の割に精神の座った娘が口論を始めると、劣勢に立たされるのは決まって父の方だ。そうなるといつも必ず母が仲裁に入るのは、マレグレン家ではすっかり見慣れた光景だった。


「お父様だって、泣く泣くこの縁談を承諾なさったのよ」

「……承諾も何も、父上が独断でお決めになられたのでしょう?」

「違う……! 誤解しないでくれ、リュシー……! これは陛下の勅令なのだ。私は一切、関与していない……!」

「勅令……! おじ様の……?」


 予想だにしない返答に、リュシエリアーナは軽く目を見開いた。


 従兄伯父(いとこおじ)である国王の性格は、把握しているつもりだ。少なくとも、縁談を強引にまとめるためだけに、身内の意見も聞かず勅令を出すような横暴な人物ではない。ましてや、国王は従姪(じゅうてつ)であるリュシエリアーナを我が子のように可愛がっていた。そんな彼女の婚約者に、問題のある男をあてがおうなどと考えるはずがない。


(……あるいは、国王として、どうしても避けられぬ事情がある────という事か?)


 いかにも不本意だと顔に書いてある父の様子を見る限り、そう考えるのが妥当だろう。

 腐っても自分は王族の末端に連なる身。国のために望まぬ婚姻を強いられる事は、宿命として受け入れるほかない。


 リュシエリアーナはわずかに諦観を含んだ息を吐き、昂ぶった心を鎮めるようにソファに深く身を預けた。


「……それで? 肝心の婚約者はどういった人物なのです?」

「……あ、ああ……! ……それなのだがな」


 娘が思いのほか冷静さを取り戻したことに安堵したのだろう。父は母と顔を見合わせると、リュシエリアーナの正面に置かれたソファへ腰を下ろした。


「リュシーは『星屑の落ちる土地』を知っているか?」

「『星屑の落ちる土地』─────天から降り注ぐように魔力が溢れ出す、あの神域のことですね」


 即座に返された答えに、父は重々しく首肯する。


 『星屑の落ちる土地』。

 それは、この世界において聖地と称されるに等しい場所だ。千年を生きる教皇が生まれた奇跡の地にして、神が恵みを注ぐかのように、天より膨大な魔力が降り注ぐ聖域。

 この地の魔力を悪用すれば、世界を滅ぼすことすら容易い──そう囁かれるほど、強大な力が渦巻いている特別な地だった。


「それゆえ、この土地に魔力が降り注ぐという事実は秘匿とされている。知るのは王族と教皇、そしてごく一部の人間のみだ」

「はい、王妃教育の一環として叩き込まれました。その土地が、私の婚姻とどういう関係が?」


 問い返すと、父は一瞬、言葉に詰まったように視線を泳がせた。


「……リュシー。お前は、その土地を治める者が誰か、知っているか?」

「確か……フォルスタート辺境伯家が、代々守護の任に就いていたはずですが」

「……その現当主が、どういった人物かは?」

「…………回りくどいですよ、父上」


 答えを引き延ばされているような感覚に、胸の奥がじり、と焦れる。

 不快を隠さず渋面を作る娘に、父は意外なものを見るように目を丸くした。


「…………本当に、何も知らないのか?」

「? ですから、何がです?」

「だから申し上げましたでしょう、あなた。リュシーはあまり社交界に顔を出しませんし、そもそも興味もありませんから、貴族の家名は覚えていても、人物の噂にまでは通じていないのですよ」


 呆れ混じりにそう告げる母に小首を傾げながら、リュシエリアーナは深くため息を落とす父の顔を、どこか冷えた視線で見つめた。


「……まあ、辺境伯自身も社交には消極的だし、そもそも『星屑の落ちる土地』から王都まではひと月の道程(どうてい)だ。顔を合わせたことがないのは致し方ないにせよ……」


 それでもあまりに世俗に疎すぎる、と言わんばかりの父の態度に、リュシエリアーナは「余計なお世話だ」と目を細めて鼻を鳴らした。二人そろって、自分を蚊帳の外に置いたまま話を進めるのが、また腹立たしい。


「まどろっこしいのは嫌いです。結論からおっしゃってください」


 きっぱりと言い放ち、リュシエリアーナは鋭い視線を父に向ける。


「……つまり私の婚約者として名が挙がったのが、その辺境伯なのですね? 彼に何か問題が?」


 詰問(きつもん)するような娘の問いに、父と母は一度だけ互いに視線を交わした。ほんの一瞬の逡巡の(のち)、父は覚悟を決めたように小さく息を吸い込む。


「……どうか、気を確かに持って、心して聞くのですよ、リュシー」

「ですから─────」

「……醜いのだよ」

「……え?」


 わずかに自分の声と重なって、肝心の部分だけを聞き逃した。

 意を得ず、きょとんと見返す愛娘に、父は眉間の皺を指で押さえながら、苦渋に満ちた声で再び言葉を紡いだ。


「『世界で最も醜悪な貴族』─────彼は、見るに堪えないほどの『醜男』なのだよ、リュシー」


 この時の衝撃は、筆舌に尽くしがたいだろう。

 リュシエリアーナは岩のように硬直し、その場で完全に動きを止めた。いや、脳が理解を拒絶したと言うべきか。リュシエリアーナは父からの言葉を吟味するように何度も頭の中で反芻しては打ち消し、幾度目かでようやく思考の輪郭を取り戻した。


 次の瞬間。


「醜男……っっ!!!!?」


 爆発するような声とともに、両手が卓を叩きつけた。重厚な音が室内に響く。


「それも……見るに堪えないほどの、ですか……っっ!!!!?」

「いや……! リュシー、お前の言いたいことはよく判って─────」

「いいえ、判っておりません!!!」


 父の言葉を力任せに遮り、リュシエリアーナは叫ぶ。


「私が、なぜこれほどまでに婚姻を忌避しているのかを──────!!」


 そう、この身体の性に反して魂が男であるなどと、両親は露ほども疑っていない。


 男であるがゆえに、男に抱かれるなど死んでも御免なのだ。それだけでも耐え難いというのに、相手が世界一の醜悪さを誇る男だなど、冗談ではない。


 それも生半可な醜さではない。『世界一』という称号が当然のごとく付いて回るほどの醜さだ。たとえどれほど己を殺そうとも、身の毛がよだつほどの嫌悪が押し寄せ、正気を保てないだろう。

 その絶望的なまでの不快感を、両親は微塵も理解してはいないのだ。


(おまけに、当代の辺境伯は確か、私より八つも上の二十六だったはず……!!)


 あと数年もすれば、三十路に差しかかる年齢だ。男に限らず、人間は皆等しく老いとともにその容貌を変えていく。ましてや元から醜悪だというのなら、その先に待つものなど想像するまでもない。


(これなら、まだ……アレクス兄さまの方が、(まん)に一つも救いがあった……!)


 激昂の果てに言葉を失い、押し黙ったリュシエリアーナを前に、両親は再び視線を交わす。

 そして、腫物(はれもの)に触れるかのように、恐る恐る声をかけた。


「あー………リュシー……? だ、大丈夫か?」

「………………これが、大丈夫なように見えますか……!?」

「っ!? ……お、お前の憤りは、痛いほど理解している……! だがな、フォルスタート辺境伯の血筋を絶やすわけにはいかんのだ……!」


 それもよく判っているつもりだ。

 フォルスタートの家系は代々、教皇に次ぐほどの膨大な魔力を有している。その魔力を(いしずえ)として、神域『星屑の落ちる土地』は護られてきた。もし彼らの一族が絶えれば、土地の守護は崩れ、世界の(ことわり)そのものが揺らぎかねない。


 それは神聖国の────ひいては、世界の存亡に直結する由々しき事態なのだ。


 理屈は判る。理解も、できる。

 だが、これではまるで─────。


「………つまり父上は、私を国に売ったというわけですね……?」

「!? ち、ちがう、違うぞ……!!」


 父は血相を変え、必死に首を振った。


「大事な大事な愛娘を売るなど、断じてあるわけがなかろう……っっ!!!」


 結果として嫁に出すことに変わりはないが、それでも『売る』という言葉だけは認めるわけにいかない。必死に(かぶり)を振って否定する父をよそに、リュシエリアーナの脳裏には、前世の光景が鮮明に蘇っていた。


 時は戦国、弱小大名の家に生まれた娘は、権力のある大名家に嫁ぐのが当然の時代だった。家同士の同盟を結ぶための、いわば政略結婚だ。


 ────そのために嫁いでいった実姉の、あの寂しげな背中。


(……結局、女はどこの世でも、政略の駒として使い捨てられるという事か……!)


 その不条理な事実が、憎くらしくてたまらない。


「……えー……っと、リュシー……? 目が……据わっているが……本当に、大丈夫か……?」


 鋭い眼光を湛えたまま、石像のように動かぬ娘に、父は恐る恐る声をかける。

 次の瞬間、リュシエリアーナは卓に預けていた身をすくりと起こし、おもむろに扉へと向かって歩み出した。その足取りには、戦場へ赴く武将のような迷いのなさが宿っている。


「リュ、リュシー……!? どうした? どこへ行くつもりだ?」

「もちろん、おじ様────いえ、陛下のところへ」

「!」


 何をしに行くかは、リュシエリアーナの様子を見れば火を見るよりも明らかだろうか。何より娘の気性をよく理解している両親は、慌てて腰を浮かせた。


「ま、待てリュシー……! 確かに勅令を出したのは陛下だが、この婚姻を推し進めたのは別のお方だ……!」

「別の? では────」


 ────誰が。

 そう続けようと開いた口は、すぐに閉ざされることになる。


 この世界で一国の王に命令を出せる存在など、ただ一人しかしない。


「あなた……! それを口にしては……!」


 母が鋭く窘めたが、もはや遅い。

 リュシエリアーナは脳裏に明確な一人の人物を思い描いて、無言のまま部屋を辞した。その後をすぐさま追った両親は、だが扉を開いた先にすでに娘の姿を見る事が叶わず、静まり返った廊下だけが広がっていた。


 蒼白な顔で立ち尽くす二人には、ただ迫り来る嵐の気配だけが重くのしかかっていた。

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