教皇『神寵者』
──────教皇『神寵者』。
ここフォルトゥナータ神聖国において、最も強大な権力を有する存在。教会の最高指導者にして、人の身でありながら老いも死も寄せ付けぬとされる奇跡の体現者────それが教皇である。
膨大な魔力をその身に宿し、神の恩寵を顕現させるかのような御業を行うその姿から、教皇はいつしか神の寵愛を一身に受けた者、『神寵者』と呼ばれるようになったという。
「やあ、リュシー。相変わらず息災なようで何よりだ」
豪華なエッグチェアに身を預け、柔和な笑顔を見せる男の顔は若い。年の頃は二十代後半だろうか。だが眼前の人物が紡いできた年月が、それくらいでは収まらない事を、リュシエリアーナは重々承知していた。
教皇リオンフェルド=フューネル────神寵者と呼ばれる彼の肉体は、久しく時の流れを拒んだままだ。若々しい容貌とは裏腹に、その魂が刻み続けてきた星霜は、すでに千年に届こうとしている。膨大な時がもたらした叡智は底知れず、神聖国のみならず諸外国からも、至高の賢者として絶大な信頼を寄せられていた。
教会へ辿り着くと、いつもと変わらず身体検査もないまま教皇公邸の奥室まで通されたリュシエリアーナは、貴族令嬢としての挨拶である淑やかなカーテシーを捨て、右手を胸に当て左手を腰の後ろに回し軽く一礼する、いわゆる騎士の敬礼を取った。
「もったいなきお言葉。猊下におかれましても、御身安泰であらせられる事、何よりに存じます」
硬質で凛としたリュシエリアーナの態度に、教皇リオンフェルドはくすりと喉を鳴らした。彼は傍らに控える己の補佐兼護衛を務める大司祭アラン=ジスフォードへ、退室を促すように軽く手を挙げる。
主の意を汲んだアランは軽く一礼をすると、踵を返した────その最中、ちらりと一瞥したアランの視線とリュシエリアーナの視線が偶然、交差する。刹那、アランの顔面は火を噴くように赤らみ、彼は逃げるように部屋を後にした。
その背を訝しげに見送るリュシエリアーナに、リオンフェルドが愉しげな声をかける。
「リュシーが愛らしいから緊張しているのだろう。不快には取らないでやってくれ」
『美しい』ではなく『愛らしい』と形容してくれる教皇に、リュシエリアーナは思わず顔が綻ぶ。
髪色の深浅に関わらず、顔立ちそのものを正しく形容してくれる者は、彼女が知る限り、兄を除けば教皇リオンフェルドしかいない。
リュシエリアーナは彼と二人きりになった途端、先ほどまでの硬質な空気を脱ぎ捨て、親愛の情が滲む笑顔を見せた。
「ご無沙汰してしまい申し訳ございません、リオンおじ様。お元気でしたか?」
「元気も何も、私は病にかかる事はないからね」
「お体は息災でも、心が疲弊なさる事や気落ちなさる事もあるでしょう」
「たとえそうだとしても、リュシーの顔を見れば元気になる」
そう言って、傍に寄るリュシエリアーナの髪を一房手に取り、そこに小さく口づけを与える。上目遣いに視線だけを向けてくるリオンフェルドの容貌は、恐ろしいほど美しい。
陶器のごとき白磁の素肌、色香を湛えた瞳、そして艶やかな口元────その人間離れした美貌は、まさに神の寵愛を一身に受けた者だと、否応なしに得心してしまうほどだ。
もっとも、彼を『美しい』と正しく認識できる者は、この世界ではリュシエリアーナと実兄以外、存在しないのだが。
美形の教皇による歯の浮くような台詞と親しげな仕草に、リュシエリアーナは不覚にも頬を染めつつ、彼の髪色をちらりと一瞥した。
視界に映る教皇リオンフェルドの髪色は、輝かんばかりの白金色だ。淡く白に近い明るい金髪は、例に漏れずこの世界では醜いと断ぜられる。それも、かなりの醜男に相当するだろう。
そんな醜男にリュシエリアーナが思わず「美しい……」と感嘆を漏らしたのは、彼女がまだ十の頃だった。
王族の一員として初めて教皇への謁見を許されたその日、目前に現れたこの世のものとは思えぬ神々しさを放つ姿に、リュシエリアーナはまだ言葉をかける許しも得ていないうちから、魂を奪われたように呟いたのだ。
慌てて非礼を詫び、マレグレン公爵が娘の口を塞ぐ。
だが、その呟きを捉えた教皇は、耳を疑ったように目を丸くした。
「────構わない、手をどけてやりなさい」
「は、はい……」
おずおずと離れる公爵の手を見届けてから、教皇はリュシエリアーナの前まで歩み寄り、目線を合わせるように威厳ある身を屈め、膝をつく。
「リュシエリアーナ……と言ったね?私のどこが美しいと思ったのか、聞いてもいいかな?」
「すべてです」
迷いも、諂いもない。
まるで研ぎ澄まされた鋼のように、真っすぐで揺るぎない断言だった。
その一言に、教皇のみならずその場に参列していた国王とマレグレン公爵までもが息を呑んだ。
「その瞳も、口元も、顔の輪郭、髪色に至るまで、すべてが眩いほど美しいです……! まるで一点の曇りもない名刀の輝きのよう……! 私はこれほど美しい御方を見た事がありません……!!」
興奮に瞳を輝かせて答える少女を前に、教皇はしばし言葉を失う。やがて唖然としたまま、花が綻ぶような微笑みを謝意の代わりに彼女に返した。
以来、教皇はリュシエリアーナを特別に可愛がり、今もこうやって定期的に訪れる彼女を、誰よりも熱く歓迎しているのだ。
「…………揶揄わないでください……!」
一房の髪に唇を寄せたまま、熱を帯びた視線を送ってくるリオンフェルドに、リュシエリアーナはわずかに紅潮が残った頬を子供のように膨らませてみせた。
「はは! それはすまなかったね。私に頬を染めてくれるのは今ではもうリュシーだけだから、つい嬉しくてね」
破顔して笑い声を上げるリオンフェルドの姿に、もはや教皇としての威厳はない。自分が彼の前で素になれるように、教皇もまた自分の前では肩書を脱ぎ捨て、一人の人間として接してくれる。それはたまらなく光栄なことだが、いかんせん、こうやってすぐ人を揶揄うリオンフェルドの性格に、いつも翻弄されっぱなしだった。
何より、前世では剣術一筋で、色恋沙汰には一切縁のない無骨な武士として生きてきた。身近な異性と言えば、実姉くらいのものだ。その姉も綺麗な方ではあったが、眼前の教皇とは比ぶべくもない。
美形への耐性が皆無な自分の反応を面白がっているのが透けて見え、なおさら不貞腐れるリュシエリアーナに、リオンフェルドはくつくつと笑いを堪えながら視線を流した。
「そう機嫌を損ねないでくれ。私の可愛いリュシー」
「…………リオンおじ様は、誰彼構わずそのように口説いておられるのですか?」
「まさか、気に入った子にだけだよ。もっとも、こんな『醜男』に口説かれて喜ぶ物好きなど、君以外にはいないだろうけれどね」
おどけて肩をすくめ、自虐をあっけらかんと口にする彼に毒気を抜かれ、リュシエリアーナは思わず吹き出す。それにつられるようにリオンフェルドも声を上げて笑い、ひとしきり笑い合ったところで、リュシエリアーナは目尻に滲んだ涙を指で軽く拭いながら口を開いた。
「リオンおじ様が醜男なら、この世の大半の男は、醜男を名乗る資格すらございませんね」
「そうかい?」
「髪色だけで人の美醜を決めるなど、ひどく理に欠けた話です。彼らは人と話す時、相手の顔も見ないのでしょうか?」
「どうだろうね?」
「私は常々思うのです。もし『絶世の美女』だと持て囃される私が、髪をすべて剃り落として『尼僧』にでもなったら、彼らは一体どこを見て美醜の判断をつけるのかと」
「……!」
予想だにしない返しに、今度はリオンフェルドが絶句した。直後、彼は目を丸くして吹き出し、文字通り抱腹絶倒の勢いで哄笑を披露する。その珍しいリオンフェルドの姿に、リュシエリアーナは目を瞬いた。
「相変わらず……! リュシーとの会話は飽きないな……! まさか『髪を剃り落とす』とくるとは……!」
「………………笑い過ぎです、リオンおじ様……!」
「ああ……! すまない……!」
笑い含みのまま謝罪するリオンフェルドの目尻には、先ほどのリュシエリアーナとは比べ物にならないほどの涙が溜まっている。それを軽く拭い、やがて落ち着きを取り戻したリオンフェルドは、一度小さく息を吐き、柔らかな慈愛を込めて彼女を見つめた。
「……そうだね。きっとそうなって初めて、彼らはようやく相手の顔を見るのだろうね」
微笑みの中に懐古の念に近い情緒がわずかに垣間見えたような気になって、リュシエリアーナはふと、先ほどのリオンフェルドの言葉を反芻する。
─────(私に頬を染めてくれるのは今ではもうリュシーだけだから……)
『今ではもう』という言葉には、かつては彼を見て頬を染める者が他にいたという、遥か昔の記憶が横たわっている。
「……リオンおじ様は私を髪色で判断なさいませんね。それは、何ゆえです?」
ずっと不思議だった。
この世界では髪色こそが美醜の絶対的法則。その強固な常識が、教皇の中には微塵も存在しない。むしろ、リュシエリアーナの前世に近い感覚を持っている。
異質とも取れるその価値観の根源を問うた彼女に、リオンフェルドは静かに微笑んだ。
「……美醜の基準など、時代と共に移ろう虚像だからね」
「え?」
「かつては美しいと謳われた容貌も、時が経てば醜いと評される。ままあることだよ」
「─────では」
千年に及ぶ星霜の中で、顔の造作そのものを尊ぶ『正道』の時代があったという事だろうか。
思ったリュシエリアーナの内心を察したように、リオンフェルドはひとつ首肯を返して続けた。
「私がまだ、自分をただの人だと信じていた頃は、皆、顔の造形そのもので美醜を判断していたね。もちろん個人の嗜好はあったが、判断の根拠はあくまで、その者自身の顔立ちだった」
「では、何ゆえ髪色などで美醜を判断するという、暗愚な行いに世は流されたのですか?」
「─────流言が広まったのだよ」
「流言?」
眉根を寄せた問いに、リオンフェルドは遠い記憶を辿るように、わずかに思案する仕草を見せた。
「あれは四百年……いや、五百年ほど前か。『神の寵愛を一身に受けた教皇の髪色は、濃く暗い』……そんな噂が、どこからともなく広まってね」
それを誰が初めに吹聴したのか、今となってはもう知る術はない。だがその流言飛語は瞬く間に世界を侵食した。教会が事態を把握したときには、もはや堰き止めることなど不可能なほど、人々の意識に深く根を張っていたのだ。
「以来、濃い髪色には神の恩寵が宿ると、皆が盲信するようになった」
「……………『濃く暗い』?」
皮肉極まれり、とばかりに眉を歪ませ、細めた目で眼前の白金の髪を凝視するリュシエリアーナに、彼はくすりと喉を鳴らす。
「私に拝謁できるのは、ごく限られた者だけだからね。市井の者が私の素顔を知る機会など、皆無に等しい。教皇の髪色が濃いと聞かされれば、疑う者など一人もいなかったのだろう」
当初『濃い髪色は神の恩寵の証』とされていた概念は、長い年月を経て、いつしか『濃い髪色こそが美しい』という歪んだ美意識へと姿を変えていったのだ。
「……そんなに容易く、人の概念や感覚が変わるものなのですか?」
現在の美的感覚に至った顛末を聞いて、リュシエリアーナは驚嘆交じりの息を吐いた。
前世と今世を合わせれば、生きた時は四十年近くになる。そんな彼女にとって『常識』とは、決して覆らぬ鉄の掟のようなものだった。
『武家に生まれた者は、軟弱な体であってはならない』
『令嬢に生まれた者は、淑女として生きなければならない』
そのどちらもが、リュシエリアーナを縛り、苦しめるに至った『常識』だ。
それが、これほどまでに呆気なく他愛のない流言によって作られた砂の城だったとは─────。
「そう、人の概念や感覚など、時々の風に流され別の何かに取って代わられるほど脆いものだ。それが絶対だと盲信するのは、愚かというもの。よく覚えておきなさい、リュシエリアーナ」
言って、どこか愁いを帯びた微笑みを浮かべるリオンフェルドの貌が、ふと、先ほど出会ったあの壮麗な男と重なる。
(…………似ている)
人智を超えた美しさはもとより、どこか寂寞を纏ったあの笑顔が、妙に彼を想起させた。
(………顔立ちが似ているのか……? ……いや、美しさで言えば、彼の方がリオンおじ様の上をいっていたな)
どちらも目を奪われるほど見目麗しいが、どちらかを選べと問われれば、迷わず壮麗な男だと答えるだろう。それともそれは、自分の好みの問題だろうか。
そんな益体もない思案に耽りながら、無意識のうちにじっとリオンフェルドを凝視していたリュシエリアーナに、彼は悪戯っぽく目を細めて見せた。
「─────それで? 今日は私の顔に見惚れるためにやって来たのかな?」
「!!?」
そこでようやく、熱い眼差しを送り続けていた己の失態に気づく。リュシエリアーナは不覚にも羞恥で火照った顔を、慌てて憤慨の色で塗りつぶした。
「ち、違います……っ!! 今日はリオンおじ様に頼み事があって訪れたのです……っ!!!」
「頼み事?」
目を瞬かせる教皇を前に、リュシエリアーナは乱れた呼吸を整えるように一度咳払いをして、意を決して本題を切り出す。
「私を、神殿騎士に任命していただきたいのです」
「却下」
「え………っ!!!」
慈母のごとき笑顔を浮かべたまま、教皇はにべもなく一蹴する。熟考するどころか、取り付く島もないほどだ。想定していなかった、交渉の糸口さえも与えられない即断に、リュシエリアーナは唖然と硬直した。
そんな立ち尽くす彼女の動揺を愉しむように、教皇はくつくつと喉を鳴らす。
「勘違いをしないでおくれ、リュシー。私は何もリュシーに意地悪をしたいわけではないのだよ。ただ、ね────」
一度言葉を切り、リオンフェルドは困ったように眉を下げた。
「……ただ、私は権力にものを言わせて他者を従わせるやり方は、あまり好きではないのだよ」
「……!」
「君が神殿騎士になる事を、マレグレン公爵は認めておられるのかな?」
「……っ! ………それは……」
もはや、王手をかけられたも同然だろうか。
返答に窮し、リュシエリアーナは奥歯を噛み締める。これは、父に認められぬがゆえの強硬策なのだ。いわば『教皇の威光』を盾に強引に押し通そうとした『不忠義』と言ってもいい。それを見透かしたような問いに、もはや弁明の言葉などないに等しい。
「……君が以前から神殿騎士を目指していた事は、当然知っている。それが周囲の理解を得られず、苦しんでいることもね」
「─────……」
「だがリュシー。君は決して、孤立無援なわけではない」
「……え?」
敗北感に俯きかけた顔を、リュシエリアーナは弾かれたように上げた。視界の先には、万象を包み込むような穏やかな微笑を浮かべるリオンフェルドの姿があった。
「君の兄上であるフォルドエルからも、リュシーの入団を求める嘆願は何度も届いているよ」
「! 兄上が……」
「もちろん、リュシーのような逸材が騎士団に加わってくれれば、これほど頼もしいことはない。……だけどね、リュシー。騎士を志す者が、搦手から事を成そうとしてはならない。強ささえあればいい、というものではないのだよ」
諭すように、しかし揺るぎない響きを込めて、リオンフェルドは続ける。
「騎士に求められるものは『勇気』と『礼節』、そして『慈愛』と『献身』だ。高い道徳と倫理に基づいた行動規範がなければ、真の騎士とは呼べない。君が騎士の道を歩むと言うのならば、後ろ指を指される事のない正道を征くべきではないのかな?」
あまりに清廉な正論で、もはやぐうの音も出ない。
これこそが『騎士道精神』の本質であることを、リュシエリアーナは痛いほど承知していた。
かつて胸に抱いた『武士道』と、騎士たちが重んじる『騎士道』────どちらも戦士の鑑たる規範だが、その根底は似て非なるものだ。
『武士道』は主君への絶対的な忠義と、死を以て志を完遂する潔さを美徳とする。対して『騎士道』は、神への信仰と忠誠を基盤としつつ、生存を前提とした倫理観と、見返りを求めぬ奉仕精神を最上位に置く。
理念そのものが、根本から異なるのだ。
心血を注いで騎士道を叩き込んできたつもりだったが、骨の髄まで染みついた武士の生き様は、そう簡単には拭えないのだろう。『命に代えても大望を成す』という武士特有の厳格さ、あるいは融通の利かぬ頑迷さが、騎士としての柔軟な思考を曇らせてしまう。
─────そして、眼前にいる教皇こそが、その騎士たちを統べる正義の象徴なのだ。慈愛の化身が、親の承認を欠いた不実な任官を許すはずもない。
その厳然たる事実に、リュシエリアーナはただ項垂れたまま、「承知いたしました」と小さく応じることしかできなかった。
**
「教皇猊下。フォルスタート辺境伯がお見えです」
アランが恭しく頭を垂れて報告したのは、リュシエリアーナが辞去して間もなくの事だった。自室で寛ぐリオンフェルドは視線だけで了解を示し、それにもう一度低頭すると、アランは後ろに控えていた辺境伯を室内へと促した。
「約束の刻限に遅れ、貴重なお時間を空費いたしましたこと、心よりお詫び申し上げます、猊下」
入室するなり、沈痛な面持ちで重々しく頭を垂れるフォルスタート辺境伯を、だがリオンフェルドはさも些末な事だと一笑に付した。
「いや、構わないよ。おかげでとても有意義な時間が過ごせた」
「……?」
訝しげに顔を上げた男の貌は、教皇と同様、人智を超えて美しい。まるで彫刻の如く完成されたその顔に、さらりと白銀の髪が一房落ちる。それを無造作に払う辺境伯に、リオンフェルドは静かに言葉を紡いだ。
「……それよりも、私がなぜ君をここへ呼んだか、理解しているね? ラファシアン」
その問いに、ラファシアンの端正な顔が苦渋に歪んだ。
「…………婚約破棄、の件でしょうか?」
「これで何度目だったかな」
「…………十七回目に、ございます」
「……そうか」
深い嘆息を落とす教皇の姿に不興を読み取ったラファシアンは、慌ててもう一度、深々と頭を下げた。
「申し訳ございません……! 猊下のご期待に背き続ける己の未熟さを、ただただ恥じ入るばかりです……! 何とお詫び申し上げればよいか……!」
「いや、謝罪には及ばない。……すべての責は私にある」
「……! 決してそのような事は─────」
ラファシアンの必死の弁明を遮るように、リオンフェルドは静かに頭を振った。
「フォルスタート家には私の血が色濃く流れているからね。……すべての元凶たるその髪色は、私に由来するものだ。苦労をかけて、すまないね」
「! ……もったいなきお言葉。身に余るご配慮、痛み入ります」
「……それはそう、と」
リオンフェルドは小さく嘆息し、指先でこめかみをなぞった。
「次の婚約をどうするか、だね」
これまでの縁談はすべて国王に一任してきた。教皇自らの任命ともなれば、その重圧は令嬢の逃げ道を完全に塞いでしまう。最悪の場合、自死という選択肢すら与えかねない────そんな彼なりの慈悲が、結果として十七回もの破談という迷走を招いたのだ。
そんな教皇の苦悩を知る由もなく、ラファシアンは意を決したように拳を握り、重い口を開いた。
「……僭越ながら申し上げます。おそらく私のこの容姿では、どれほど縁を重ねようとも、実を結ぶことは決してないでしょう」
「それは、『誰とも婚姻を結ぶつもりはない』という、廃嫡の覚悟と受け取っていいのかな?」
「────ご推察の通りです。……これまで私との婚談に臨んだご令嬢たちは皆、まるで人身御供にでも捧げられたかのように、死よりも辛い運命だと嘆き、苦渋に顔を歪めてまいりました」
嗚咽を漏らす者、絶望に瞳を濁らせる者、あるいは屈辱から罵詈雑言を浴びせる者。そのすべてを平静を装い受け流してきた。だが、心が傷つかぬわけではない。何より、これほど醜悪な自分を押し付けられる彼女たちが哀れに思えて、胸が千切れる思いだった。
「……私はもう、彼女たちのあのような悲壮な顔を見たくはないのです」
「─────…」
ラファシアンの独白を最後まで静聴していたリオンフェルドは、長い沈黙の末に小さく息を吐いた。
「……君は本当に、私によく似た性格をしているね」
「え?」
「いや、私以上に慈悲深く─────もとい、救いようのないお人好しのようだ」
「では─────」
「だが、それだけは認められない」
「!」
ラファシアンの安堵を断ち切るように、リオンフェルドの顔が険しく曇る。その峻烈な拒絶に、ラファシアンの背を焦燥の汗が伝った。
「フォルスタート家は、私の血を濃く受け継ぐ一族だ。この国を護る結界も、辺境の『星屑の落ちる土地』を守護する力も、私と同じ膨大な魔力を宿す君たちの血筋なくしては維持し得ない。国のため、ひいては世界のため、この血脈は決して絶やしてはならないのだ。─────私の言いたい事は判るね? ラファシアン」
判らないわけがない。
幼少の頃から、耳に胼胝ができるほど聞かされてきた宿命だ。
表向きは縁もゆかりもない赤の他人、だが実際は教皇の血を受け継ぐ『神寵者の一族』である事。
国を支える楔となり、人知れず魔力を捧げ続ける事こそが一族の運命であり、存在意義である事。
そして、それは教皇とフォルスタート家、どちらかが欠けても決して成り立たないという事実─────。
神寵者が家門から現れて以来、約千年。
この役割は受け継がれ、守られ、そしてこれからも続けねばならない。その重責から逃れる術など、この世界のどこにも存在しないのだ。
ラファシアンは、肩に食い込むような使命の重みを改めて噛みしめた。
千年にわたり紡がれてきた執念を、自分の代で断ち切るなど許されぬ大罪だ。
─────それはすなわち、この国と世界を見捨てるという事。
諦観を押し殺すように、ラファシアンは静かに騎士の敬礼を取った。
「─────猊下の御心のままに」
それは、己の意志という剣を手放し、運命という名の軍門に下った瞬間だった。
**
「……猊下、何をお考えですか?」
窓から差し込む斜陽を背負い、物憂げに遠くを見やるリオンフェルドに、アランが声をかける。
ラファシアンが辞去してからというもの、リオンフェルドは彫像のように沈黙を守っていた。
問いを向けられたリオンフェルドは、どこか済まなそうな、それでいて茶目っ気を含んだ笑みをアランへ返した。
「……すまないね、アラン。君がリュシーに仄かな恋心を抱いている事は知っているが、どうやら応援する事は難しそうだ」
「……!」
思わぬ不意打ちに、アランは耳まで真っ赤に染め上げる。沸騰したような顔を隠すように俯かせ、アランは慌てて弁明を連ねた。
「わ、私は元より、この想いが成就するなどとは微塵も思ってはおりません……!」
「否定はしないのだね」
「猊下……!」
くすくすと口角を揺らす主に、アランはたまらず声を荒げる。
「と、とにかく……! 私の恋心など取るに足らない事……! どうかそのような事に煩わされず、猊下の正道をお示しください」
誤魔化すように軽く咳払いをするアランを、リオンフェルドは目を細めて見つめた。
彼が補佐を務めるようになって、もう十八年だ。実直で寡黙だが、誰よりも深く自分に寄り添ってくれるこの青年を、教皇は我が子のように慈しんでいる。
忠実なアランへ心中で詫びを告げながら、リオンフェルドは決然と言い渡した。
「すぐにギリアム国王へ勅書を。教皇の名において、リュシエリアーナ=マレグレン公爵令嬢とラファシアン=フォルスタート辺境伯の婚約を推し進める」




