表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵令嬢は辺境伯に愛ではなく忠誠を誓う  作者: 枢氷みをか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/3

運命の邂逅

 ──────教皇『神寵(しんちょう)者』。


 ここフォルトゥナータ神聖国において、最も強大な権力を有する存在。教会の最高指導者にして、人の身でありながら老いも死も寄せ付けぬとされる奇跡の体現者────それが教皇である。

 膨大な魔力をその身に宿し、神の恩寵を顕現させるかのような御業を行うその姿から、教皇はいつしか神の寵愛を一身に受けた者、『神寵(しんちょう)者』と呼ばれるようになった。


 教皇へのお目通りはごく限られた一部の者にのみ許され、拝謁の(えい)(よく)する者は教皇に対する畏敬の念を示すため、教会へと赴く際、馬車の使用はせず、必ず徒歩で赴くのが古くからの慣例だった。それは身分を問わず、たとえ王族であっても例外ではない。


 王族に連なる公爵家の令嬢リュシエリアーナもその慣例に従い、徒歩で教会へと歩みを進めていた。

 もっとも彼女は教皇との拝謁に限らず、日頃から馬車での移動を好まない。それは必要のない護衛騎士がぞろぞろと後をついて歩く仰々しさに辟易するのと同時に、何よりも人の視線を集めるからだ。


 国一番の絶世の美女、公爵令嬢リュシエリアーナ=マレグレン─────夜の闇を溶かしたような漆黒の髪を揺らすその麗姿(れいし)を一目見ようと、かつて民衆が我先にと集まり、街が大混乱に陥ったことがあった。以来、リュシエリアーナは街に出る際、極力目立たぬよう細心の注意を払っている。


(……やはり一人の方が気楽でいい)


 悠然と街を歩くリュシエリアーナの姿は、およそ令嬢とは程遠い。


 令嬢の標準装備である華美な装いを改め、動きやすいレギンスにチュニック、そして腰には剣を差す剣帯を装着している。まるで騎士さながらの身なりに身を包み、その上には(くるぶし)に届かんばかりの長い外套を。そして人目を惹く長い黒髪は一つにまとめて、被った外套のフードの中に隠し入れていた。そのフードも歩行の弾みで脱げぬよう、左右をトグルボタンで厳重に留める徹底ぶりだ。


 こうすれば、道行く者の誰一人として、そこを歩く人物が絶世の美女だとは気づかない。


(おかしなものだな。顔立ちが完全に隠れているわけでもないのに、誰一人として私が『絶世の美女』だとは気づかぬ)


 その滑稽さがどこかおかしく、リュシエリアーナは一人小さく笑い声を零した。


 ─────もし彼らが、遠い記憶にある『日ノ本』に赴く事があれば、美男美女の国だと驚嘆するのだろうか?


 そんな益体(やくたい)もない想像に、再び口角を緩めた、その瞬間。


「だ……っ、誰か……っ!! 私の鞄が……っっ!!!」


 静寂を切り裂くような女の悲鳴が、耳を打った。


 弾かれるように向けた視線の先にいたのは、地べたに倒れ込み必死に手を伸ばす年配の女だった。その横では連れの若い女が悲鳴を上げている。

 彼女たちの視線の先には、人混みを縫うようにして女物の鞄を抱えた男が下卑た笑みを浮かべて走り去っていくのが見えた。


「誰かそいつを捕まえて……っっ!!! ひったくりよ……っっ!!!!」

「─────承知した」


 若い女の懇願に応えるように静かな了承が耳に届く。直後、彼女たちの横を一陣の風が吹き抜けた。

 いや、正確には風ではない。風の如き素早さで長い外套をたなびかせながら、逃げる男との間合いを瞬時に詰めたのは、フードを深く被った小柄な人物だった。翻る外套の裾から、腰に剣らしき物を差しているのが辛うじて垣間見える。その主は走りながら迷いなく抜刀すると、男の背に容赦のない一撃を浴びせた。鈍い衝撃音と共に男がその場に(くずお)れたのは、悲鳴が聞こえてからわずか数秒後の出来事だった。


「不届き者が。教皇猊下がおいでになる教会の目と鼻の先でこのような蛮行に及ぶとは……救いようのない愚か者だな」


 冷ややかな瞳で意識のない男を見下ろしたその人物─────リュシエリアーナは男の傍に落ちた女物の鞄を拾い上げた。軽く砂を払いながら、リュシエリアーナは唖然とこちらを見つめる二人の元へと歩み寄る。


「怪我はないか?」

「……! え、ええ────はい……!」

「あ……ありがとうございます……」


 差し出された鞄を夢現(ゆめうつつ)といった様子で受け取る二人の瞳は、恍惚と潤んでいる。若い女はわずかに頬を染めながら、足元に転がる男へ視線を落とした。


「……あ、あの……この人は、その……し、死んだのですか……?」


 怯えるように(たず)ねられたその問いに、リュシエリアーナは彼女たちの不安を溶かすように穏やかに微笑む。


「いや、ただの峰打ちだ」

「み、みねうち……?」


 聞きなれぬ言葉に二人は小首を傾げる。そんな二人に、リュシエリアーナは腰の鞘を軽く手元に引き寄せ親指で(つば)を押し上げると、わずかに抜き放たれた白銀の刀身を覗かせた。


「これは刀という」

「……カタナ……ですか?」


 二人はその見慣れない形状の剣────刀を吸い寄せられるように見つめる。


 騎士が持つ剣とは明らかに異なり、その刀身は随分と細い。緩やかな弧を描く反りのある形状で、柄の部分には組紐が整然と巻かれている。鞘から抜かれた刃には、曇り一つない鋼の上に淡い雲のような白い波模様────刃文(はもん)が刻まれていた。


「刀は片刃(かたは)と言って片側にしか刃がない。当たる寸前に手首を返し、背の部分────『峰』で叩き伏せたのだ。まあ要は斬撃ではなく打撃を見舞った、という事だな。相手は斬られたと思って気を失うが、実際は打撲や骨折だけで命に別条はない」


 言われて彼女たちは倒れている男の背を視界に映す。確かに斬ったと思われる背中からは出血はおろか、その衣服にすら斬られた跡はない。リュシエリアーナの言うように、ただ意識を失っているだけなのだろう。


 わずかに安堵して胸を撫で下ろす彼女たちを見て、リュシエリアーナはくすりと喉を鳴らした。


「案ずるな。いくら私といえど、ご婦人の前で殺生沙汰は起こさぬ」


 何よりここは教皇のお膝元。血で穢す事は避けたいし、何よりたとえ罪人と言えどその刑罰は司法に委ねるべきだろう。


 リュシエリアーナは刀を再び腰に差して、未だに地面に座り込んでいる二人に手を差し伸べた。


「立てるか?」


 はい、と答えた若い女が、その手を取ろうと腕を伸ばす────その刹那。

 視界の端で、何かが動いた。


 はっと息を呑むよりも早く、二人の瞳に映ったのは先ほどまで地に伏していたはずの男が、音もなく身を起こす光景だった。まるで死人が糸に操られるかのような、不気味なほど静かな動き。その右手には、いつの間にか短剣が握られている。


「……っ!」


 背後から叩きつけられるような殺気に、リュシエリアーナは瞬時に反応した。視線だけを投げた先には、すでに短剣を構え獣のような形相でこちらに駆け出す男の姿がある。


(……当たりが浅かったか)


 小さく舌打ちをして、リュシエリアーナはすぐさま親指で鍔を弾く。鯉口を切る感触と同時に、リュシエリアーナは距離を測った。


 近い────だが、足りる。


 前世、戦国の世において『間合い』という概念は骨の髄まで叩き込まれている。この距離なら、抜刀と同時に相手を斬り伏せることも容易い。躊躇なく振るえば、確実に急所を断てる。


 柄に手をかけ刃を走らせようとした、その瞬間、視界の端に背後で悲鳴を上げる彼女たちの姿が映った。


 ─────この距離で人が死ぬ様を、彼女たちに見せることになるのか。


 この距離で断ち切れば、間違いなく彼女たちにも返り血が降りかかるだろう。戦国の世に生まれ、死を日常として生きた自分とは違う。安穏とした暮らしを営んできた彼女たちの心は、目の前で命が散るその光景に耐えられるだろうか。


 ほんの一瞬の逡巡。

 その刹那、男の短剣が目前に迫った。


 抜刀の機を逸したリュシエリアーナは、鞘に収まったままの刀を斜めに掲げ、柄頭(つかがしら)で短剣を突き上げる。その反動で両手が上がり、無防備に晒された男の鳩尾(みぞおち)に、同じく柄頭で渾身の当身を叩き込む─────はずだった。


(く……っ!)


 手応えが、軽い。


(……また、足りない……!)


 前世も病弱ゆえに小柄ではあったが、それでもあれは修羅の場を潜り抜けて鍛え抜かれた男の体だ。今の華奢な令嬢の体では、同じ動作をなぞっても絶対的な筋肉量が足りない。王妃教育に明け暮れ、満足な鍛錬も積めなかったツケがここにきて響いた。思った以上に力不足な柄頭の当身(あてみ)に短剣はわずかに上に弾かれただけで、男は怯むどころかすぐに体勢を立て直す。鈍い光を放つ刃が、再びリュシエリアーナの胸元を狙って突き出された。


(もう…! 斬るしか─────)


 苦渋の決断を下し彼女が柄を握り直したその瞬間、リュシエリアーナの鼓膜が微かな『詠唱』の響きを捉えた。


「…!」


 吐息に近い囁きのような詠唱が結ばれた直後、一筋の青い光が男の胸を鋭く貫く。男は一度「かは…っ」と短く息を吐くと、そのまま時が止まったようにその場に(くずお)れた。顔は瞬く間に蒼白へと染まり、見開かれた瞳は焦点を失って微動だにしない。一度小さな呼気を吐いたのか、男の口から季節外れの白い吐息がふわりと宙に溶けたのを最後に、彼はぴくりとも動かなくなった。


(……白い吐息? この季節に……?)


 季節は春から夏に移ろうかという時期、吐息が白くなるほど冷え込む事はまずあり得ない。訝しげに眉根を寄せて、リュシエリアーナは男の傍らに膝をつき口元に手をかざした。


(……冷たい。まるで氷のようだ)


 かざした掌に、雪国の凍てついた空気のような冷気が当たる。見れば青い閃光が貫いたはずのその背には、一輪の花が咲いたかのような美しい薄氷(うすらい)が結晶となって張り付いていた。


(……死んだ……? いや、仮死状態といったところか……)


 頸動脈に指を這わせれば、消え入りそうなほど細く遅い脈動が確認できる。背に残された氷の位置から察するに、貫かれたのは間違いなく心臓だ。急速に冷却された心臓が、生命活動そのものを極限まで抑え込み、昏睡状態へと追いやったのだろう。


 正確に心臓を射抜き、それでいて殺める事なく命を氷に閉じ込める────そのあまりに精密で、恐ろしいほどに見事な手腕。


(……これほど繊細で正確な魔法は初めて見た。一体誰が─────?)


 リュシエリアーナはゆっくりと顔を上げ、光が放たれたであろう方角へ鋭い視線を走らせた。その視界に捉えたのは、建物の影が落ちる薄暗がりの中を静かな足取りでこちらへと歩み寄る、一人の長身の男─────。


「……怪我はないか?」


 思いのほか穏やかな声音がリュシエリアーナの耳を打つ。逆光を背負い、建物の濃い影に沈んでいるせいで男の容姿は未だ定かではない。だが声音に滲む柔らかさと、周囲に纏う落ち着いた空気から察するに、先ほどの『精密な魔法を操る手練れ』という冷徹な印象からは程遠いだろうか。


 彼が一歩、また一歩と歩み寄るにつれ、逆光の影がゆっくりと剥がれ落ちていく。リュシエリアーナは固唾を呑んで、その様子を見つめていた。


「……いや、貴方ほどの腕があるなら愚問だったな」


 カツン、カツンと静かな足音が石畳に響く。


「私が余計な手出しをしなくとも、貴方なら一人で対処ができただろう。……いらぬ世話を焼いた、すまない」


 助けた当人であるにもかかわらず、そこには深い自責を含んだ謝罪があった。その言葉を耳にした直後、ようやく(あらわ)わになったその男の容貌に、リュシエリアーナの目は釘付けになった。


 まるで宝石を思わせる紺碧の瞳は薄く潤んで不思議な光を放ち、それを縁取る長い睫毛(まつげ)は恐ろしいほどに艶めかしい。反面、細い眉は凛々しく凛と斜め上に伸び、すらりと通った鼻筋の先には上品に引き締まった唇が非の打ち所のない調和を見せている。男とは思えぬほど整った、そのあまりに鮮烈な美貌に、リュシエリアーナはたまらず息を呑んだ。


(…………まるで天女のようだ)


 相手が男である事は百も承知だが、これ以上に相応しい言葉が見当たらない。いや、むしろ性別を超えた美しさだろうか。男として生きた記憶を持つ自分から見ても、目前に立つ青年は見惚れるほどに美しかった。


 思わず心中で感嘆をもらし、魅入られたように彼を凝視するリュシエリアーナの視線に、男はわずかに眉を(ひそ)めてぴたりと足を止める。その微かに不快感を滲ませたような彼の仕草に、ようやくリュシエリアーナは我に返って、熱を帯びた頬に焦燥を滲ませながら、慌てて取り繕うように立ち上がった。


「あ……いや…! かたじけない……! ……本当に助かった」

「…! 女性、だったのか……!」


 驚嘆したように目を見開く様子を見る限り、どうやらリュシエリアーナを男だと思っていたらしい。声を聞いてようやくリュシエリアーナの性別を認識した男は、なぜか先ほどよりもなお深く眉をひそめて、困惑を隠そうともせずに表情へ浮かべた。


「……す、すまない……! てっきり少年だとばかり……」

「いや、気にするな。私としては男と間違われる方が─────」


 言いながら何気なく一歩踏み出したリュシエリアーナに合わせるように、なぜだか男はするりと後退する。それを訝しげに思いながら再び距離を詰めると、やはり男も後ろに下がるので、今度はリュシエリアーナが盛大に眉を(ひそ)める番となった。


「………………なぜ逃げる?」

「あ…! いや、逃げているわけでは……!」


 男は慌てて(かぶり)を振り、消え入りそうな声で言い繕った。


「そ、その……! ……私が傍に寄れば、貴女は不快に思うだろうから……」

「? 不快? なぜ私が─────」

「あ、あの……っ!!」


 リュシエリアーナの問いを遮るように声を上げたのは、先ほど助けた二人だった。いつの間に立ち上がったのか、青ざめた顔でリュシエリアーナと男を互替(かたみが)わりに見つめている。


「私たちはこれで失礼しますね……!!」

「助けていただいて、本当にありがとうございました……!!」


 おざなり程度の謝意を残し、二人はまるで逃げるようにその場を去っていく。脱兎の如く遠ざかる背中を不思議そうに見送りながら、リュシエリアーナは小さく首を傾げた。


「……何があった?」


 手のひらを返したような態度の変化に怪訝な表情を浮かべる彼女の横で、男はどこか申し訳なさそうに、そして自嘲気味な笑みを零した。


「……私が不快なのだろう」


 ぽつりと零れたその一言に、リュシエリアーナは思わず瞬きをした。


「? 先ほどから何を……。不快とは何がだ?」

「? 何って……」


 首を傾げるリュシエリアーナにつられるように、男もまた心底不思議そうに首を傾げ返す。


「私が見るに堪えないほど、醜いからだろう?」


 決まりが悪そうに目線を逸らして告げられた、あまりに彼にそぐわないその形容詞に、リュシエリアーナは天を仰がんばかりの勢いで目を見開いた。


「醜い!!!? 貴方が!!!? どこをどう見ればそうなるのだ!!!?」

「!? あ……いや…? ………どこからどう見ても醜悪だろう?」

「だから、どこかといている!!?」


 リュシエリアーナの剣幕に気圧されたように男は一瞬言葉を失い、それから困ったような微笑を浮かべた。そのまま、自身の髪を一房すくい上げる。


「─────ここが」

「!」


 その仕草に導かれるように、リュシエリアーナの視線がようやく彼の髪色を正しく捉えた。

 彼の麗しさをさらに際立たせる、その美しく輝く白銀の髪色─────。


(……そうか。失念していた)


 この世界では、髪色が薄ければ薄いほど“醜い”とされる。

 彼の美しい白銀の髪もまた、この国の歪んだ美的感覚に照らせば、『色の抜けた出来損ないの容貌』として一蹴されてしまうのだ。


 そう理解した途端、先ほどの彼の振る舞いが、ひとつひとつ腑に落ちていく。凝視されて眉を顰めたのは、何も不快に思ったからではない。醜い自分を見つめられていると思い込み、居たたまれなくなっただけなのだ。


(……この白銀の髪が彼の神秘的な美しさを完成させているというのに……もったいない)


 腕を組み、思案するように沈黙したリュシエリアーナの様子を、男は別の意味で受け取ったらしい。彼はさらに恥じ入るように視線を落とした。


「……やはり醜悪に映るか。男ですら私の顔には嫌悪を隠さない。……特に女性は私を見ると、泣くか悲鳴を上げるか青ざめて失神するか────あまりに醜くて私の顔を見た途端、吐き気を催す女性もいたな……」

「それは……なかなかに壮絶な人生だな……」


 これは同情を禁じ得ないだろうか。


 苦笑を漏らしながら、リュシエリアーナは改めて眼前の男を視界に入れた。悄然と肩を落とすその姿でさえ、絵画のような美しい気品さが彼にはある。他の者は彼の醜さに顔を背けるだろうが、自分はまた違った意味でその直視し難い光輝に顔を背けてしまうだろう。


 リュシエリアーナは一度くすりと笑って、俯く男に声をかけた。


「……そんな無粋な言葉など聞く必要はない、耳を塞いでしまえ」

「え?」

「それほどの美貌を持ちながら、恥じ入る必要がどこにある? ……案ずるな、自信を持て。貴方は私が今まで出会った誰よりも、美しいのだからな」

「…………!」


 満足そうに破顔するリュシエリアーナを、男はただ呆然と見つめていた。

 やがて硬直したまま、ぽつりと呟く。


「…………もしや視力が弱いのか……?」

「…………存外、失礼な男だな」


 半ば呆れたように応酬するリュシエリアーナに、男は慌てて(かぶり)を振った。


「…! い、いや…! 決して貴女を馬鹿にしたわけではない……! ただ……! ─────ただ、私を醜いと罵らないばかりか、美しいと言われたのは生まれて初めてで……」


 経験のない賛辞にどう反応すればいいのか困惑しているのだろう。ひどく面映ゆそうに赤く染まったその顔は、無自覚な美貌と相まって、理性を試す破壊力を持っていた。


 リュシエリアーナは必死に平静を装いながら、未だ気恥ずかしそうに口元を手で押さえる男を、くすりと笑った。


「……勘違いされては面白くないから言っておくが、私の視力はかなりいい」

「!」

「加えて言い添えておくが、私は嘘も世辞も好かぬ。貴方が今聞いた言葉が、ありのままの私の言葉だ」

「─────…」


 慣れない賛辞に言葉を失う男をもう一度笑って、リュシエリアーナは後ろで倒れている暴漢へと視線を落とした。


「それで? あの男はいつ頃目覚める? 手当は必要か?」

「…! あ……いや、手当は必要ない。一刻と経たずに目覚めるだろう」

「そうか。なら意識を取り戻す前に騎士の詰所に連れて行くか」


 言いながら踵を返して、リュシエリアーナは倒れる男の腕を取る。そのまま男の体を持ち上げようとするが、女の細腕では意識のない男を支えるだけの力がないのだろう。どれだけ奮闘してもびくともしない現状を見かねて、壮麗な男は歩み寄り、リュシエリアーナがあれほど苦戦した男の体をいとも容易く持ち上げた。


「……彼は私が詰所に連れて行こう」

「…! いや…だがそこまで甘えるわけには─────」

「だが貴女では体を持ち上げる事すら困難だろう?」


 的確すぎる指摘に、ぐうの音も出ない。

 バツが悪そうに口を噤むリュシエリアーナへ、男は穏やかな笑みを返した。


「安心してくれ、私が必ず詰所に連れて行く。───約束する」


 別に彼が男を放置するなどと疑っていたわけではないが、それでもこの美しい顔にこれほど眩い笑顔を(たた)えられては、どれほど無理難題を言われても『応』と答える他ない。


 リュシエリアーナは諸手を上げるように赤く染め上げた頬をひた隠しながら、小さく「……では、お言葉に甘えるとしよう」と呟いて、その場を彼に託した。


**


「ラファシアン様!」


 彼女が立ち去った後、意識のない男を縛り上げようと膝をついた彼の背に、軽やかな呼び声が飛んだ。わずかに視線だけを後ろへ流すと、そこには補佐官であるシエル=ド=ミシェルが、どこか意味深な笑みを浮かべて立っている。ラファシアンはその意図を即座に悟り、呆れたように嘆息を漏らした。


「……なぜ今まで隠れていた、シエル。すぐそばで聞き耳を立てていただろう」

「いえ、ようやくラファシアン様にも氷の鉄壁を崩す女神が現れたのではないかと期待したのですが」

「何の話だ?」

「暴漢に襲われる女性の危機に颯爽と現れ、救い出す貴公子────となれば、その先に待ち構えているのは運命的な恋でしょう? その崇高な出会いに水を差すのは野暮というものではありませんか」

「ふざけるな。私に色恋沙汰など起こるはずがないだろう」


 呆れたように落としたため息には、乾いた諦観が色濃く滲んでいる。


 世界一醜いと蔑まれる自分に、心から好意を寄せる者が現れるはずがない。自分にもいずれは、と抱いた淡い期待はわずか六歳の頃に露と消え、以降の二十年間、異性に対して胸躍る事はおろか、期待を寄せる事もなくなった。そしてこれからも、望むだけ無駄なのだ。


 そんな諦めの境地に至った己の主の背を切なそうに眺めて、シエルはリュシエリアーナが去った路地に視線を移した。


「……ですが、ずいぶんと変わった女性でしたね?」

「そうだな……。あの身のこなしと物腰から察するに、どこかの騎士だろう」

「変わった剣をお持ちのようでしたが、彼女は神殿騎士でしょうか?……でしたら、彼女は平民の出かもしれませんね」


 神殿騎士は身分に関係なく、広くその門戸(もんこ)を開いている。実力さえあれば、平民でも騎士の座を掴み取れるのだ。


「できればどこかのご令嬢であれば、ラファシアン様の奥方に相応しいのですが」

「馬鹿を言うな。……私の妻になど、誰が好き好んでなろうと思う?」

「ですが彼女には、ラファシアン様が美しく見えるようですよ?」

「…!」


 思わぬ切り返しに、封じ込めていたはずの含羞(がんしゅう)が沸き立ち、ラファシアンはたまらず盛大に顔を赤らめる。近くで耳をそばだてていたのだから、彼女との会話はすべてシエルに筒抜けなのだろう。その面映ゆさを、ラファシアンは憤慨の表情で強引に覆い隠した。


「か、揶揄うな……!! あれは彼女なりのお世辞だ……!」

「おや? 『世辞は好かぬ』と彼女は仰っていましたが?」

「……で、では……! 嘘も方便と─────」

「『嘘も好かぬ』とも断言していましたね」

「……!!」


 完璧に退路を断たれ、ラファシアンはたまらず閉口する。幼い頃から侍従として傍にいたシエルは、異性に対し完全な諦観を示す主に代わり、隙あらばこうして色恋沙汰に結びつけようとする。

 気遣いなのは判っている。だが、無駄に期待を寄せれば、それが外れた時の落胆は鋭い刃となって自分を切り刻むのだ。できれば放っておいてほしいと、ラファシアンは重い嘆息を漏らした。


「……とにかく、彼女の言葉を真に受けるな。お前は何でも恋愛ごとに結び付け過ぎだ」

「せっかくラファシアン様を嫌がらない稀有な女性なのにもったいない……」


 そう残念そうに零すシエルの独り言には聞こえないふりを決め込んで、縄を縛り終えたラファシアンは立ち上がる。そして無意識のうちに彼女が去った道へと視線を移した。


(……そういえば、名を聞きそびれたな)


 フードを目深に被った彼女の姿が、自然と脳裏に浮かぶ。髪色がすべてを左右するこの世界で、執拗なまでにその髪を隠していた彼女に奇妙な親近感が湧いた。


 ─────もしかしたら彼女も自分と同じく薄い髪色を嘆き、ひた隠しにしているのかもしれない。


 そんな邪推が頭をよぎったが、たとえそうであってもなぜだか彼女を醜いとは思えなかった。

 むしろ─────。


 彼女の微笑みが、ラファシアンの記憶に深く刻まれている。


 ─────『貴方は私が今まで出会った誰よりも、美しいのだからな』


 夢物語のようなその言葉が、冷え切った胸の奥で、いつまでも消えない火種のように熱を帯びていた。


(……また、会えるだろうか?)


 彼女が立ち去ったその先には、教会と教皇が住まう教皇公邸がある。

 もし彼女が神殿騎士団に連なる者であれば、いつか再び相まみえる機会もあるだろう。


 会えることを期待しつつ、だがこれは恋ではない、と自分に言い聞かせる。

 それでも脳裏に焼き付いた彼女の残像を慈しむように胸の内へ仕舞い込み、ラファシアンは一度だけ静かに瞼を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ